第74回 「君の名は」―忘れられた忘却―
公開日:2023年11月10日 09時00分
更新日:2023年11月17日 14時12分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
私の幼かった頃に一世を風靡した「君の名は」というドラマがあった。
今(2023年10月)「君の名は」をYahoo!で調べてみると、出てくるのは新海誠監督が制作したアニメの「君の名は。」である。
私が探していた「君の名は」はそれより下方に出てきた。
私の思い出にある「君の名は」は、昭和27年に流行ったドラマであることがわかった。
1952年(昭和27年)4月10日から1954年(昭和29年)4月8日まで毎週木曜20時30分から21時までの30分放送されたもので、全98回、とある。
菊田一夫の原作で毎週放送されていた連続ドラマであり、私は9歳で、小学校3年生であった筈だ。
その当時の庶民の茶の間にあったのは、テレビはなくラジオであった。
若い男女2人の恋人が毎回すれ違う恋愛ドラマであった。
幼かった私は大人たちがラジオにかじりついていた傍らで聞いていたのである。
「番組が始まる時間になると銭湯の女湯から人が消える」といわれるほど流行したドラマであった。
若い2人が出会いそうになると必ずすれ違う話であった。
私は、はらはらして聞いていたことを思い出すので、大人たちの恋愛を理解できていたらしい。
テレビではないので映像はなかったのだが、今でも2人の影が浮かんでくるような錯覚を覚える。
70年も前の物語である。
「君の名は」と聞いて主人公の春樹や真知子を思い出すのは私たちが最後の世代になるだろうと思う。
番組は冒頭で「忘却とは忘れ去ることなり。 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」というセリフで始まった。忘れたいが忘れることができないほど悲しいことはないというのだ。
その頃子どもだった私たちの世代は老人になった。
そして「忘却を誓いもしないのに忘れてしまう」ことが多くなった。
この私のエッセイの表題の「忘れられた忘却」とは意味不明であると思う人がいると思うが、間違いではない。
「忘れたことを忘れてしまった」ことを指している。
忘れたことを忘れてしまった人は忘れたことに気づいていない。だから忘れていないと思っている。
私は自分の忘れたことを一覧表にしようと思ったことがある。
しかし困ったことに気が付いた。
自分が忘れたことは思いつかないのだ。
脳に損傷のない高齢者、すなわち認知症ではない高齢者に対する調査で、彼らの記憶テストの点が良くなり始めるのは、記憶そのものを忘れた時点である。
自分の記憶に何の不満も感じていない人の中には、記憶が悪すぎて忘れたことに気づいていない人もいるのである。
彼らを問い詰めれば言うに違いない。「忘れていることをどうすれば思い出すのだ!?」
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」「老いを見るまなざし―ドクター井口のちょっと一言」(いずれも風媒社)など