第45回 大正デモクラシーと女たち
公開日:2021年6月 4日 09時00分
更新日:2023年8月21日 11時59分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
私が田舎で幼少期を過ごしていた頃に古くからの風習を変えようとした大人に出会ったことはなかった。大人とは昔からの風習を変えることなど考えたこともない人たちであると思っていた。例えばその頃の田舎の葬式は代々受け継がれてきた儀式があり、それを行う人々には序列があり、それを施行するには古くから決められていた日程があった。
お寺のお坊さんの差配が絶対的であった。
村人は日常の業務を放り出して葬式に駆けつけ日夜を問わず葬式の家に滞在した。
近隣の女性たちは朝から葬式の家の台所に入り弔問客のために食事を作った。
男たちは座敷に座り込んで昼間から酒を飲んでいた。
そのような代々続いていた田舎の葬式はその異様さを誰も指摘することもせず、田舎の嫁たちの人権をないがしろにしてきた。私は子供ながらに憤りを感じていた。
名古屋に出てきてその風習をいとも簡単に簡素化してしまう人に出会った。
妻の実家の法事に出ると、義母が「今日のお経は短くしてちょうだい」とお坊さんに注文をつけていた。私は坊主に文句をいう檀家に初めて出会ったのだった。
宗教の呪縛を軽々と越えてしまう人がいたのである。義母は明治の生まれであり大正デモクラシーの余韻の残る時代に高等女学校で学んでいた。その時に白樺派の自我中心主義に接していたのだ。その思想はある種のコスモポリタニズムであり良くも悪くも楽天的であった。
そのような合理性を持ち合わせた女性は義母をおいて他にいないと思っていた。
ところが数年前から義母に似たタイプの女性たちの一群の存在を意識するようになった。私の外来に受診していた男性の患者たちが年を取り妻たちが付き添いで来るようになってからであった。
認知症で腎臓癌を患っていた夫をいたわりながら「夫は手術しません」ときっぱりと断って「夫はもう十分に生きたのでもういつ死んでも大丈夫です」と言う92歳のSさんもその一人だ。
夫の死後の世界も一人で生きて行く覚悟ができており、毅然としている。
明るく人生の難局を乗り越える勇気を持った人たちである。
彼女たちに共通しているのは大正デモクラシーの余韻の残る昭和の初めに青春時代を過ごし高等教育を受けた人たちである。
白樺派の自由の思想に触れて今でも少女の様な好奇心を持ち続けている。
著名な歌人によると現代の短歌の世界を支えているのはその人たちであるという。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」(いずれも風媒社)など