第87回 心雑音
公開日:2024年12月13日 08時30分
更新日:2024年12月13日 08時30分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
私が勤めていた私立大学では健康診断があった。
毎年、検診車が医者とレントゲン技師と看護師を乗せてやってきた。
まだ冷気が教室に漂っている春の終わりである。
大学の講義室が検診室に変わる。
看護師が身長、体重を測り、検尿、採血があって最後は医者が診察をする。
検診車に乗ってやってくる多くの医者は研修医である。
10年ほど前だった。採血をした後で医者の診察があった。
上半身裸になると肌寒かった。
若い女医が私の心臓の音を聴診器で聞いた後、「心雑音がありますね」と、こともなげに言った。
私はそんな筈はないと思った。私には心雑音を生ずるような心臓の疾患はない筈だった。
「そんなことはないよ」と研修医を諭すように言った。
「私は医者なんだけどね」というと彼女は少しも動ずることなく「それでは自分で聞いてみてください」といって彼女の聴診器を首から外して私に持たせた。
私は指導医になったつもりで聴診器を自分の胸にあててみて驚いた。
ザーザーという収縮期雑音が聞こえるではないか。私は焦った。「本当だね」と言ってその場を離れた。
自室へ戻り改めて聴診器を自分の胸に当てるとトタン屋根を打つ雨の音のような音が聞こえた。
私はそれまで自分の心臓が雑音を発していることを気づいていなかったのである。
前年の5月に私に末期の食道がんが発見された。
肺に転移があり外科手術は不可能であると診断された。私を含めて全ての医者は予後に悲観的であった。
効果は期待できなかったが念のために放射線治療と化学療法を受けることになりその年の年末まで化学療法を受けた。
そして大方の予測に反して化学療法が奏効して私の癌は消失した。
健診の半年ほど前まで私は食道がんの化学療法を受けていたのであった。
化学療法には様々な副作用があった。
その一つが重大な貧血であった。
貧血はかなり重症で歩くと息切れがした。階段を上るのに手すりが必要であった。
健康診断を受けたのは、食道がんの化学療法を終えて半年ほど経った頃だった。
食道がんは消えたが化学療法による副作用である貧血は長く続いていたのであった。
研修医に指摘された心雑音は貧血が原因であったのだった。
発症から5年が過ぎる頃より貧血は改善して息切れもしなくなり、階段に手すりは不要になった。
毎年検査を繰り返してきて今年で11年が経過した。癌の後遺症は消えて再発の恐れもなくなった。
心音を聞いてみても雑音は聞こえない。
癌は完全に治癒したようだ。
しかし私は最近階段を上る時に再び手すりに掴まるようになった。
支えがないと平衡が保たれなくなる不安に襲われるからである。
「うちの主人見栄を張って手すりに掴まらずに歩くの」。と言っている老人の患者の主婦がいたが、私も癌からは逃れたが、老化は確実に進んでいたのであった。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2024年より現職。名古屋大学名誉教授、愛知淑徳大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」「老いを見るまなざし―ドクター井口のちょっと一言」(いずれも風媒社)など