第78回 ゴルフ場倒産
公開日:2024年3月 1日 09時05分
更新日:2024年3月 1日 09時05分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
私が所有している財産の中で唯一換金可能であると思っていたものはゴルフの会員権であった。
そのゴルフクラブ代表取締役から「倒産」の通知が届いた。
故郷にできたゴルフ会員権を買ったのは1987年であった。中央アルプスの麓で田植えと稲刈りを繰り返していた田舎の生活と風景がゴルフ場の出現によって突然変貌することになった。
イギリスの貴族の娯楽であったゴルフが日本人の庶民の遊びになった頃であった。
私の手元にあるゴルフ会員権の預かり証の額面は100万円であるが、実際に支払った金額は300万円であった。
バブル景気の真っただ中で「借金をしてでも土地を買え、必ず値上がりする」と日本人の多くが思っていた。
私の買った会員権も半年後には1千万円を超えた。更に値上がりするだろうと思い机の引き出しの奥に大切に保存しておいた。
母が、汗水たらして1年間働いて作ったコメの値段が一俵で1万円にしかならない時代であった。
医者たちの間にもゴルフブームが起こり、製薬会社の接待がゴルフ場で行われるようになった。
私がゴルフを始めたのはその頃であった。
母が田んぼで田植えをしているときに、息子はゴルフ場でビールを飲みながら小さなボールを打って遊んでいた。
ゴルフの上手な人は上等の人間のように思え、下手なスイングをする人は下等な人間に見えた。
私は幼い頃から運動神経が鈍く小学校の通知表では体操がいつも「3」であった。
しかしゴルフで使う神経は特別な運動神経だと思うようにしていた。
練習しても上達しないのは練習が足りないからだと思い、自分に才能がないからだとは思いたくなかった。
しかし30年近くゴルフをやったが下手のままだった。
そして夜の飲み屋へ行かなくなった頃からゴルフにも手を出さなくなった。
ゴルフを止めてからは運動神経のコンプレックスに悩まされることはなくなった。
ゴルフ会員権の預かり証は私にとっては貴重な財産であった。毎年2万円の会費を欠かさず納めてきたが、実際にゴルフ場を利用することはなかった。
数年前にネットで相場を見てみると債権が20万円になっていた。
そして1か月前に倒産の通知が届いた。難解な文面で文章の意味が読み取れなかったが、会員権の値段は0になった、ということだと理解した。
今では田舎のゴルフ場だけでなく田んぼも、畑も、山林も、家も土地も、かつては「財産」と呼ばれていたものの価値が消失した。
亡き母が田植えをしていた田んぼは休耕田になっているが、隣に工場ができたそうである。
休耕田を物置場として借りたいと工場から連絡があった。提案してきた借地料は1年間で600円であった。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」「老いを見るまなざし―ドクター井口のちょっと一言」(いずれも風媒社)など