第85回 春の雪
公開日:2024年10月11日 08時30分
更新日:2024年10月11日 08時30分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
生まれ故郷である信州を離れて60年、この地に住むようになって30年経った。
我が家の前の道路は桶狭間古戦場公園に通じている。
日曜の午前中に名鉄の有松駅で電車をおりた観光客が旗をもったツアーコンダクターに連れられて通り過ぎてゆく。
私は織田信長の末裔になったような気分になって彼らを眺めていた。
2月に3人の老人がわが家を訪ねてきた。
家の前の雑木林が木枯らしに揺れていた日だった。
地域の老人会の役員たちで私に「講演」を頼みに来たのだった。
「ところで会場はどこを準備しているの?」と私が聞くと、「まだこれからです」という返事だった。
彼らは講演会を主催した経験がないようであった。
「会場はどこがいいでしょうか?」というので「そんなこと自分たちで考えてよ」と言いたかったが、「小学校とかがいいんじゃないですかーー」と答えた。
私に講演をさせるということだけが決まっていて、講演会に備えた準備は何もしていなかったようで、会長は私に「講演会には何を準備すればよいですか?」と聞いた。
私は「スクリーンが必要です」と答えて、プロジェクターも用意して欲しかったが「到底無理」そうであったので、言い出せなかった。
1時間の講演を引き受けることになったが、彼らが帰った後で近くの電気店にプロジェクターを注文した。
講演会が開催されたのは3月23日の春分の日であった。
春だというのに寒い日だった。
会場は丘の上にある地域の小学校の2階であった。
用意された教室には机も椅子もなく、スクリーンだけがつるしてあった。
私が教室に着くと会長が隣の教室へ行って小学生用の椅子を運んできた。
私の座る椅子である。
暫く経つと聴衆がばらばらと集まってきて、隣の教室へ自分たちの座る椅子を取りに行った。
持って行ったパソコンを立ち上げて、プロジェクターを据えてスクリーンに映像が出現することを確認した時は何とも言えぬ安堵感があった。
聴衆は40人ほどになったが全員無口であった。
私は最近まで大学生の講義をしていたが学生たちの動きには雑木林が風に揺れるようなざわめきがあった。
しかし老人たちの周辺からは音が消えていた。
講演会に集まってきた老人達は故郷を離れてこの地に移り住み、「故郷はここではない」と思っている老人たちであった。
私たちは「ふるさと」の幻影を求めて彷徨うのである。
講演が終わり校庭に出ると春だというのに小雪が舞っていた。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2024年より現職。名古屋大学名誉教授、愛知淑徳大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」「老いを見るまなざし―ドクター井口のちょっと一言」(いずれも風媒社)など