第28回 順当な評価
公開日:2020年1月10日 09時00分
更新日:2023年8月21日 12時56分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
63歳の木工芸術家であるYさんは20年来の糖尿病患者である。
8年前から沖縄で毎年12月に行われるNAHAマラソンに出場している。
夏になると大会に備えて体を作る。
昨年まではマラソンから帰って来ると糖尿病は改善していた。
今年も参加したが「結果は最悪」だったそうである。
前回受診時の9月の時点でのヘモグロビンA1cは7.5%であった。
今回は「だめだったので改善は見込めないどころか、悪化しているだろう」というのがYさんの予測であった。
糖尿病は血糖の高くなる病気である。血糖とは血液中の糖のことで健康な成人では大さじ2杯ぐらいの糖が体全体の血液の中に存在するのだが糖尿病になるとそれ以上の糖が全身を回っている。
私が大学を卒業した頃はまだ血糖値は測定することができない時代で尿の中の糖分の量が糖尿病の重症度の判定に使われていた。
1970年代になると血糖値が直接測定されるようになった。
医者が外来で血糖値を測ることによって患者の糖尿病状態が分かるようになった。
血糖値は食事をすれば高くなり空腹になると低くなる。
患者たちは医者に受診する前の数日間は食事制限をしてきて、帰ったら好きなだけ甘いものを食べるようになった。
その患者と医者の騙し合いのバトルに決着をつけたのがヘモグロビンA1cであった。
ヘモグロビンA1cを測定すると過去1~2ヶ月の血糖値の平均が分かるようになったのだ。
この嘘発見器が開発されたのは1980年代の初めである。
Yさんはマラソン大会で毎回完走していたが、年を経るごとに完走時間は長くなってきているという。
最初は5時間で走ったが最近では6時間に近づいてきた。
「2時間で走る人に比べて3倍も体力が要る」と本人は言うが、それよりも心配なことはマラソンの制限時間であった。
制限時間内に関門を通過しない場合は競技を中止しなければならない。
制限時間は6時間15分である。
マラソン当日、沿道にはステーキを提供している人がいたり走者の中には腰の曲がったお婆さんもいた。
Yさんは「あのお婆さんにだけには負けたくない」と思ったそうだ。
Yさんのスタートの位置は、受付の締め切り間際に申し込んだので出場者数2万5千人の最後尾になってしまった。
スタートの号砲が鳴ってからスタート地点に行くまでに20分もかかった。
最後尾からは交通規制が解除されていく。
Yさんは交通規制解除が次第に迫ってくる手前を走ることになった。
すぐ後ろから迫ってくる後始末班に追い立てられるように走ったのだったが、ついに追いつかれてしまった。
第一関門は21.3km地点のはずであるがそれよりもずっと手前の5kmのところで警察官に促されて歩道へのリタイアであった。
腰の曲がったお婆さんは遙か前方を走っていた。
「出発が20分遅れたのが響いた」と、彼は言うがいずれそうなる運命であったと私は思う。
6時間も走ると食欲がなくなるのだが、5kmだけではステーキも食べれたしビールも旨かったそうだ。
というわけで今回は、「糖尿病の改善は見込み薄」だとYさんは思ったのだ。
しかし予測は外れてヘモグロビンA1cは6.7%であった。
7.5%から著明に改善していた。
マラソンは失敗に終わったが、夏から秋にかけてのYさんの準備のための運動は彼の体の中で順当な評価を受けていたのである。
ヘモグロビンA1cは嘘をつかない。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」(いずれも風媒社)など