健康長寿ネット

健康長寿ネットは高齢期を前向きに生活するための情報を提供し、健康長寿社会の発展を目的に作られた公益財団法人長寿科学振興財団が運営しているウェブサイトです。

第14回 大丈夫、大丈夫

公開日:2018年10月26日 16時57分
更新日:2023年8月21日 13時02分

井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授


食道がんは軽症から重症まで1期から4期に分類される。最も重症なのが4期である。私が食道がんと診断された時は4期であった。今から5年前のことだった。
癌が食道周囲のリンパ節に及んでいた。
手術による摘出は困難で、放射線治療と化学療法を試みることになった。
癌が縮小したら手術できる可能性はあったが治癒は困難であった。
現代はEBMの時代である。エビデンスに基づいた客観的事実を患者に伝える。
検査を受けた大学病院の病室で「あなたの現在の状態からは5年生存率は12.2%であります」と若い医者から説明された。生存率12.2%であるということは87.8%は5年以内に死んでしまうということだ。
それを聞くと、私は「生まれてからずっと運が悪かった」と思った。
5年以内に9割が死んで1割しか生き残れないのなら、1割程度の運のいい群に自分が入るとはとても思えなかった。
私の気力は萎えて、「どうせ死ぬのなら早く死んだ方がいい」と思った。
葬式を早く終わらせて、家族を日常の生活に早く戻してやりたいと思った。
私はせっかちな性格で問題を長引かせるのは嫌いなタイプである。
それにしても「葬式用の式服を新調しなければならない」などと思うが「そうか、自分の葬式には自分は出なくてもいいのか」などと思い直したりして、とりとめのない瞑想が始まった。

そこへ定年間近の教授が回診で回ってきた。私の顔を覗きながら明るい声で
「大丈夫だよ、井口さん!5ソンは1割もあるんだから!」と言って私の背中をたたいた。そしてもう一度「大丈夫」と言ってくれた。
5年生存する人が1割もいるというのだ。
私は元気が沸いてきた。私は「思えば運のいい男だった」と思い直すことにした。人生の中で数多の危険な目にあったが、ことごとくすり抜けて生きてきたなと思い返した。
今回も乗り切れるかもしれない。
私は葬式用の写真を用意するのを止めにしようと思った。

その後、私の癌は放射線と化学療法で消えて、手術の必要がなくなった。
今では発症から5年が経過したが、再発の気配はない。癌であったことを忘れていることが多くなった。

人は少しでも希望があれば生きていけるものだ。
私はこの頃自分の患者たちに、どんな時でも「大丈夫」と言うことにしている。
人間は死ぬまで、「大丈夫、大丈夫!」。

図:老いをみるまなざし_第14回大丈夫、大丈夫_挿絵

(イラスト:茶畑和也)

著者

写真:筆者 井口昭久先生

井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授

1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。

著書

「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで ―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中で」(いずれも風媒社)など著書多数

無料メールマガジン配信について

 健康長寿ネットの更新情報や、長寿科学研究成果ニュース、財団からのメッセージなど日々に役立つ健康情報をメールでお届けいたします。

 メールマガジンの配信をご希望の方は登録ページをご覧ください。

無料メールマガジン配信登録

寄附について

 当財団は、「長生きを喜べる長寿社会実現」のため、調査研究の実施・研究の助長奨励・研究成果の普及を行っており、これらの活動は皆様からのご寄附により成り立っています。

 温かいご支援を賜りますようお願い申し上げます。

ご寄附のお願い(新しいウインドウが開きます)

このページについてご意見をお聞かせください(今後の参考にさせていただきます。)