第41回 人は終末期を迎えたときに何を考え、どう行動しようとするか?
公開日:2021年2月 5日 09時00分
更新日:2023年8月21日 12時51分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
8年前の5月の連休後の月曜日、私はゼミの学生たちを連れて近くの食堂でざる蕎麦を食べようとした。しかし蕎麦を飲み込むことができずに全て吐き出してしまった。
その日のうちに大学病院へ入院して検査を受けた。
2日間で様々な検査が行われて水曜日には末期の食道癌であることが分かった。
5年生存率は10%程度であった。私が生き残る可能性は少なかった。
以下は私の死が近いことを医者に知らされた直後の病室での瞑想の記録である。
検査を終えてその結果について主治医に説明を受けた後で一人になった時に真っ先に浮かんだのは葬式であった。
葬式の準備をしなければならないと思ったのだ。
妻は仕事があるし子供たちはそれぞれに予定がある。
ことに次男は1か月後にはカナダへ留学することになっていた。
それぞれに予定を抱えた5月であった。
そこへ降ってわいたように私の末期癌である。
私はいずれ死戦期を迎え家族に依存せざるを得ない。私のために彼らの行動が制約を受ける日は間違いなくやってくる。
私のできることは彼らの消耗を少なくしてやることだと思った。
終末期をなるべく短くして早く葬式を終えて彼らの日常を取り戻してやらなければならない。
行程をこなすだけの人生を生きてきた者の自然な思考過程であった。
あくまでも前進思考であった。手抜きが好きな性格でもある。
とにかく早く終わりにしなければならない、そうとばかりに思いをはせた。
勘違いしたのは自分の葬式に自分がいるかの如くの錯覚であった。
自分の葬式のイメージは具体的であった。
葬式の妄想にしばらく浸った。式服にするかモーニングか、「通常の式とは違い人生最後だからモーニングにしようか」などと思う。
誰が祝辞を述べるのだろう。
自虐的な快楽の瞬間が冬の浜辺のそよ風のように訪れた。
葬式に並ぶ家族は妻、長男、次男、それぞれの妻、そして孫たち。
そのことに思いが至った時に私に深い孤独感が襲ってきた。
そこには私がいない。
私がいない世界を生きる家族のことを思うとこの世界から消えることの意味を知った。
悲しみの源泉にたどり着いた。
今まで何のために生きてきたか?と問われると私はいつも何かの準備をするために生きてきたような気がする。
しかし家族の悲しみの払拭をするための準備ができない。
そのことに気がついて初めて深い悲しみが私を襲ってきた。
あれから8年経ったが私は生き延びている。幸運が重なって私の体から食道癌は消えた。
今ではあのときの悲しみを思い出すことは少なくなった。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」(いずれも風媒社)など