第48回 人の価値を年齢によって位置づける悪い癖
公開日:2021年9月 3日 09時00分
更新日:2023年8月21日 11時56分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
自動車の運転免許更新のための後期高齢者講習の実車試験を受けた。
試験官は中年の女性二人で、座学と実車試験で構成されていた。
夜間視力の測定があったが、私は0.5秒であった。試験官が「凄いじゃん!」と言った。私の目が暗闇で少しだけよく見えただけで「凄いじゃん!!」と褒めたのだ。
「お前に褒められる謂われはない」と言いたかったが老人のひがみと思われるとまずいので「本当?」と聞き返すと「本当だよ!これなら夜遊びもできるよ!!」と付け加えた。
「どうせおじいちゃん、夜遊びなんかできないでしょ。しようとも思っていなかったでしょ」だから「凄いじゃん!嬉しいでしょ!」と試験官は言ったのだ。
私は違和感をおぼえた。
老人は「夜遊びができるよと言われると誰でも喜ぶに違いない」と思ったようだ。その浅はかな思い込みに私は腹が立った。
彼女には老人という平均のイメージがあるのだろう。
私は老人という階層で扱われるのを拒否するのではない。
個人の尊厳を無視されるのがたまらないのである。
そこに集まった人たちは皆そう思って参加していたに違いなかった。それぞれの経歴を持って集まった善男善女である。しかし集団になると老人としてひとくくりに扱われる。
受験生の身であるので黙って耐えるしかなかった。
座学を終えて実車試験を受けた。
試験官が横に座って試験場を運転した。
速度はゆっくりと、停止線の手前では前をみて停まり、ウインカーを早めに出した。
私は無難に運転をこなしたので非の打ち所がなかったはずだ。
試験官は実車試験が終わると「いつもそんな運転をしているの?」と懐疑的であった。
「試験だから細心の注意を払って運転したのであって、いつもはもっといい加減な運転をしているんじゃないの?」と言いたかったようだ。
私にしてみれば「試験場では細心の注意を払って運転するのは当たり前じゃないか」と思ったが黙っていた。
高齢者運転の事故が多い。できるなら免許を返上しろと彼女は言いたかったようだ。
彼女が発する言葉は命令と言いがかりであり、個人に対する畏敬はなかった。終始上から目線であった。
高齢者それぞれに個性があるのに「老人」という人種としてひとくくりにされる。彼女たちが対象にしているのは老人の受験者という厄介者である。
彼女たちにあるのは「老人」という幻想に近い、いい加減なモデルである。そのモデルを基準にして人を見ている。
翻って現代の世相を見れば医療現場において命の選別が意識化されないままに定着している可能性がある。
高齢者が振り落とされていく過程を無視して社会が進んでしまう危うさを抱えている。
人の価値を年齢によって位置づけてしまう悪い癖は最近の日本で顕著になってきた。
老年医学が目指すのは暦年齢に依らない人生の構築である。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」(いずれも風媒社)など