第57回 空前絶後の食欲不振
公開日:2022年6月 3日 09時00分
更新日:2023年8月21日 11時49分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
数十年前までは一度癌になった者は他の癌には罹りにくいと思われていた。
しかし癌にかかりやすい体質を持つ者は何回でも繰り返し罹患するというのが現在の見解である。
食道癌発症から10年経過した。半年に一度CTをとり、一年に一度胃カメラで経過を観察してきた。
食道癌発症から6年後の胃カメラの検査で胃に前癌状態 が発見された。放置しておくと癌になる可能性があったので内視鏡による手術を大学病院へ入院して受けた。
手術後2日間点滴のみで絶食であった。
食欲はあるのに何も食べさせてもらえなかった。
点滴があるので水を飲むことも許されなかった。室内のトイレ以外への歩行も禁止であった。
内視鏡による手術は体表面にメスを入れないので痛みはなかった。
無症状の人間が2日間のベッド上の生活を強いられたのである。
強制的な寝たきり状態であった。
通常の患者であれば、病室には早朝にお茶が配られて、その後に朝食がきて下膳し、またお茶がきて昼食、下膳、夕食、下膳というのが日課である。
入院患者にとって食事は大事な行事である。
食事がないと一日にはアクセントがなかった。
何も食べずに生活していたので、一日に3時間の余裕が生まれることになった。
しかし2日間の絶食は私にとってそれほど苦痛ではなかった。本を読んだりテレビを見たりして過ごした。
それに反して食欲がないのに食べなければならない経験は苦痛であった。
10年前の末期の食道癌になった時に放射線と化学療法による治療を受けたのだが、その時に私を襲った食欲不振の体験は強烈であった。
食べたくないものを食べさせられるという経験は平時における食欲不振とはまったく性質が異なっていた。
食物というものはそこに存在するときから、ある種の親近感を醸し出しているが、全く親近感が湧かないのである。
部屋に置いてある調度品と同レベルのものに見えていた。
食物でないものを食べさせられるという感覚であった。
テレビに出てくる食事を見ても嫌悪感が走った。
不本意に口に入れて、無理して咀嚼して、それから飲み込む作業が難渋を極めるのである。
経験した者にしか分らないということは数々あるがこの化学療法時の拒食感は経験者でなければまったく分らないだろう。
食事に費やす時間がとてつもなく長く、食事と食事の間が短かった。
ようやく苦難の食事が終わったかと思うと、すぐに次の食事が巡ってくる。
私たちが無意識のうちに遂行している食事という作業は、いったん何らかの障害を受けると途端に困難になる。
時間がたてば空腹を感じ、食事をすれば満腹になる。
その平凡な繰り返しは私たちの脳の高度な仕組みにより緻密に組み立てられているのである。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」(いずれも風媒社)など