第23回 人生の頂点
公開日:2019年8月 2日 09時00分
更新日:2023年8月21日 12時58分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
私の子供時代は大人びた子供であった。いつでも大人の顔色を窺っていた。
何時の時代でもそういう子供は大人から嫌われるものだ。
今私の目の前に私の子供時代の子供が現れたら私はその子を嫌いになるだろう。
私の生まれながらの性格というよりは私の育っていた家庭環境がそうさせていたのであろう。
だから子供の振りをするのだがそれも見抜かれて、更に媚びをうって、もっと嫌われるという悪循環を繰り返していた。
小学校の先生には嫌われるというよりは積極的にいじめられていた。
勉強は努力しなくてもできたが、勉強ができるのは先生のしゃくの種にしかならなかった。
私は早く大人になりたいと子供心に願っていた。
高校から大学生の時代は社会の中における自分の位置が不明で情緒不安に悩まされていた。
自分の心が浮遊していて捕まえることができなかった。
私の心は風船のようで、浮遊先を予測できず、不意打ちのように心が沈んでしまう時には、手の施しようがなかった。
私は早く30歳を超えたいと願った。
30歳になれば私の風船は穏やかな気流に乗るだろうと思っていた。
しかし30代になると風船は気流にもまれて乱高下を繰り返した。それは40代になっても変ることはなかった。
私はとにかく早く時が過ぎることを願っていた。
50代の後半で国立大学の病院長をやっていた時は、悩みは深かった。
国立大学が法人化されたときの初代院長であった。
職員は予測できない将来に失望し、職種間のいがみ合いも日常的になった。
私はわが身を襲う理不尽な不幸を振り払うすべを知らなかった。
ただひたすら時がたって平穏な地平へ抜け出ることを願っていた。
私の外来にその病院の元院長が通院していた。
その当時70代の半ばであった先輩に尋ねた。
「この先、私の人生で何かいいことがあるでしょうか?」
「ありますよ」とその先輩は言ってくれた。
「いいことってどんなことですか?」と私は更に聞いた。
「うつらうつらすることですよ」と先輩は答えた。
そして私は今、その頃の先輩と同じ70代になった。
昼飯を食べた後の14時頃になると椅子に座ったまま、うつらうつらするこの頃である。
もう先を急ぐ必要はなくなった。
さすがに早く年を取りたいとも思わなくなった。
私のクリニックの外来には学生ばかりではなく、様々な世代の患者たちが受診する。
40代の人もいれば50代の人もいる。
どの世代にも共通して言えることは、誰もがその年齢の時が人生の頂点だとは思っていないことである。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで ―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中で」(いずれも風媒社)など著書多数