第69回 忘れられない
公開日:2023年6月 2日 09時00分
更新日:2023年8月21日 11時44分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
高齢になって何も薬を飲んでいない人は少ない。多くの老人は何らかの薬を飲んでいる。
彼らにとって「薬を飲むこと」は重要な日課であるが、必ずしも決められた規則に従って飲んでいる人ばかりではない。
飲み忘れる人は多い。
だから突然の医者の休診でも慌てることはない。その日のために?薬を蓄えているからである。
その中に飲み残しが全くない患者の一群がある。
睡眠薬を常用している人たちである。不眠は恐怖である。
眠れぬ怖さから逃れるために毎晩欠かさず睡眠薬を飲んでいるので余っている薬はない。
睡眠薬の投薬期間は日数が定められているので、医者は規定以上に投薬することはできない。
だから医者の突然の休診は不眠に悩む患者にとって大変な迷惑である。
記憶障害は認知症に怯える現代の老人にとって最も気になることである。
一方で記憶には「忘れられない」という危険な側面がある。
老人を悩ますのも「忘れられない記憶」である。
記憶は昼間の生活ではなくてはならない好意的な補佐人であり、親友である。
しかし夜になって眠りが訪れないときには記憶の危険な性格が明らかになる。
眠りは一時的な忘却であり、その恵みをえられない人は記憶の世界から逃げ出すことはできないからである。
布団に寝たまま、眠ることができずにいると、記憶が大きな支配力を発揮して様々なものを延々と思い出させ、私たちを憂鬱な気分にさせ、眠りから遠ざける。
眠れない夜に悪い記憶が一旦出現すると、まるで残酷な映画のように映像が次から次へと浮かんでくる。
それは抑えきれない不整脈のように出現し続ける。
不整脈には種類に応じて、それぞれに対応する薬剤がある。しかし記憶には抑える薬がない。
記憶を抑えることができるのはただ一つ睡眠だけである。
眠りこそが忘却への唯一の手段である。
抑えるのは記憶の全てで、特定の記憶だけを消すことはできない。
世界には見たものを全て覚えてしまう絶対的な記憶力を持つ人がいるらしい。
あらゆるものを見て、聞いて、感じて、そして忘れない。
記憶力が完全な自動記録装置になったら私などは単純に「試験に有利だろう」などと考えるが、そう簡単な問題ではなさそうである。
絶対的な記憶の持ち主は全ての物が刻々と変化するそうだ。
昨日見た自然や人の顔を完璧に脳に記録したということは今日見た同じ自然や人の顔が全く別物だということだ。
絶対的な記憶力を持つ人は世界に数名存在したらしいが、その持ち主を眠れない病気にしてしまったそうである。
記憶は人生の中で最も扱いにくいものである。
記憶は人生そのものであるからである。
「青年は夢とともに生き、老人は思い出とともに生きる」
これはサミュエル・ウルマンという人が言った有名な言葉であるが、最も老人を悩ますものも記憶である。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」(いずれも風媒社)など