第32回 コロナの春
公開日:2020年5月 8日 09時00分
更新日:2023年8月21日 12時55分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
大学への通りがかりの民家の庭先の梅の花を見て桜が咲いたと勘違いする頃になると、人が去って行く時期である。
今年は大学の卒業式が中止になった。
いつもなら卒業式の日の夕方行われていた謝恩会も中止になった。
4年間をともに過ごしてきた学生たちとのお別れの時が永遠に失われてしまった。
4月になると新入生がくる筈である。
その入学式も中止となった。
節目の目印が消えていく。
入れ替わりの行事のタイミングがなくなった。大学を去って行く先生たちの送別会も次々に中止になった。
3月は会議の多い月である。
しかし今年は名古屋市や愛知県や放送局の委員会も全部キャンセルになった。
人に会う機会が減っていく。
クリニックの外来で患者に会うことだけが人に会う機会になってしまった。
その機会もなくなろうとしている。
私の外来には糖尿病や高血圧などの慢性疾患を抱えた老人が多い。
彼らは新型コロナの肺炎にかかると致死率の高い患者たちである。
感染する可能性の高いクリニックへは近寄らないほうがいい。
そう考えた私は電話をして予約してある患者に来院しなくてもいい旨を伝えることにした。
「来週の火曜日に受診することになっていますが、変わりがなければ今回はお薬を出しておきますので処方箋だけを取りにきてください」
最初にかけた患者は90歳で糖尿病の患者であった。電話をしているうちにこの患者は薬を出していないことに気がついた。
2ヶ月おきの受診を先延ばしにして3ヶ月後にしましょうという電話になった。
患者は喜んでくれるであろうと思ったがそれほど嬉しそうでもなかった。
次に電話をした患者は65歳の女性であった。
糖尿病と高血圧で6週間ごとに通院していた。
「待合室は患者で混雑することが予想されるので、私が予め処方箋を出しておきますので、いつでもいいですから処方箋だけを取りに来てください」と電話をすると「ご親切にありがとうございました」と感謝された。
しかし予約してあった当日にご本人が現れた。
私の予想に反してその日の待合室はがらがらで、その患者しかいなかった。
看護師が「どうしましょうか?」というので「折角来たのだから診察しましょう」ということになっていつものような診察をして世間話をして帰っていった。
慢性疾患の患者がクリニックへ来るのは処方箋をもらうためであると思っていた。
医者が限られた日数の薬しか出してくれないので、いやいやながら通院している。だから医者の顔も見ずに薬だけ出してもらえるならばありがたい。
患者はきっとそう思っているに違いない、と推測していたが、どうやら私は思い違いをしていたようだった。
私に会いたい患者もいるのだ。月に一度、私の顔を見て日常の会話をすることを楽しみにしている人もいることがわかった。
私も彼らに会うとほのぼのと幸せになる。
3番目に診た63歳のYさんには電話をしていなかった。
糖尿病のコントロールが不十分で最低でも月に1度は通院して私の診察を受ける必要があった。
彼はインターネットで新型コロナの情報を集めていた。
「先生、知ってる?あれは米軍の陰謀ですよ」といって様々なフェイクニュースを教えてくれた。
診察が終わると
「これからは処方箋だけにしてくださいよ。ここに来るのは怖くてしょうがないんですよ。病気はどうせ自分でやるだけですから」と言った。
私は何だか寂しくなった。
帰路の道路沿いの公園ではいつもの春のようにちらほらと桜が咲いて春の風にしては冷たい風が吹いていた。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」(いずれも風媒社)など