第15回 蔵の中
公開日:2018年11月27日 09時34分
更新日:2023年8月21日 13時02分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
夏の終わりになると気分が沈む。私がこの時期になると鬱状態になるのは毎年のことだ。
普段ではどうってことなくやり過ごしていた他人の言動に深く傷つく。人に会った後の印象が悪い。会った人との会話を思い出しては、自分を主張しすぎたのではないかなどと後悔ばかりが残る。
家の窓から見える雑木林に深みが感じられず、自然に立体感がない。二次元の世界にいるようだ。
田舎の土蔵の中にいる様なこころの状態に陥ってしまう。
その原因が「お盆にある」とは薄々感づいてはいたが、確信に変わったのは最近のことだ。
8月の終わりに私のクリニックの外来に83歳のSさんがきた。彼は田舎の長男である。
なんとなく私と同じように鬱状態であったので聞いてみた。
「この時期になると、憂鬱にならない?」
「そうなんですよ、いつもこの季節になると憂鬱になるんです」
「お盆に実家へ帰って名古屋へ戻ってくるとそうなるんじゃない?」
「そうなんですよ。毎年そうなるんですよ」
彼は涙目になった。年寄りが鬱状態になると直ぐに涙が出る。
私たち二人を毎年襲う恐ろしい病気の原因はお盆にあったのだ。
彼は太平洋に浮かぶ離島が故郷である。私は信州の田舎が実家である。
二人に共通するのは田舎の長男であり、夏にはお盆に帰省することだ。
私たちは生まれると直ぐに「この家を継ぐのはお前の義務だ」と言われて育ってきた。
幼い頃からずっと雑草にちょぼちょぼと水を注ぐようにそう言われ続けてきた。
そして私たちは成人になった。故郷を離れて都会で暮らし始めて、実家に帰るのはお盆だけという生活を繰り返している。
お盆は先祖が定期的に現世に帰ってくる時だ。
ご先祖様を迎えるために8月13日の夕方にお墓で迎え火をたく。
8月16日の早朝。そろそろ涼しくなり秋風が吹く予感がする朝に送り火をたいて先祖様を再びあの世に送り返す。
私たち長男は連綿として続いてきた命の鎖を次の世代に伝えてゆくのが宿命であるとマインドコントロールされて育てられてきた。
しかし今や私たちは送り火をたくことはない。
そして私たちの代で長年続いてきた風習を断ち切ることになりそうだ。
名古屋にいて、そのことを思うと、向かいの山の景色が二次元の世界になって緑の深みが消えてしまうのだ。
幼い頃、悪いことをすると母に蔵に入れられたものだ。
蔵の中は怖い世界であった。
夏の終わりに私の周りに蔵の空気を漂わせるのは天国にいる母かも知れない。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで ―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中で」(いずれも風媒社)など著書多数