第66回 繭
公開日:2023年3月 3日 09時00分
更新日:2023年8月21日 11時46分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
「繭一つ取り残された梁のうえ」
私が小学生の時に作った俳句である。
小学生の高学年の時だったような気がする。
学校の先生に褒められたわけではないが今でも覚えている。
家の中で飼われていた蚕は夏の間に天井の梁に登り糸を吐いて繭をつくった。
冬の夜に、その繭を私がみつけたのだ。
今では養蚕(ようさん)を営む農家はなくなってしまったが、昭和20-30年代の信州の主産業は養蚕であった。
その当時の長野県には信州大学に繊維学部があり日本を代表する製糸会社であった片倉製糸工業があった。
養蚕業は当時の農家にとって貴重な現金収入であったので、人々は蚕のことを「お蚕様」と呼んだ。
初夏から秋にかけて我が家の主人公は蚕であった。
どの部屋にも蚕のための棚がつくられて人間は蚕の間に布団を敷いて寝たものだ。
古い農家に大きな家が多いのは当時の養蚕の名残りである。
母は畑から桑の葉をとってきてお蚕様に与えた。
母の苦労を見ていた私は「蚕を畑で飼えばいいのに」と子供心に思ったものだ。
しかしこの原稿を書くにあたりYahoo!で"蚕"を調べてみると、蚕は絹を生産するために人間によって家畜化された昆虫であり、野生動物としては存在しないのだということが分かった。
野生回帰能力を失ってしまった唯一の家畜化動物であり、人間による管理なしでは生きることができないそうだ。
なにしろ5000年も前から人間に飼われてきた昆虫である。
完全に人間の所有物になってしまったのだ。
蚕を畑の桑の葉にとまらせても、餌の桑の葉を探さないまま餓死してしまうそうだ。
私は大人びた子供であった。子供心にそんな自分が嫌いであった。
大人に「気に入られよう」と媚びた行動をとり、それが大人の嫌悪感を誘発して更に嫌われるという悪循環に陥っていた。
私はその循環を自覚しており抜け出すために早く大人になりたかった。
天井に発見した繭から飛び立つ蝶のように青空に向かって飛び出したかった。
私が俳句を作ったのは冬の夜であった。
しんしんと雪の降る夜に、私は天井に繭を見つけたのだった。
冬の夜の雪は遥か彼方の夜の底から降ってきた。
朝になると、世界は繭のように真っ白に変わっていた。
田んぼも天竜川の土手も白い雪に覆われた白銀の世界であった。
世界が変わる予感に満ちていて、私はわけもなく嬉しかった。
お蚕様は梁の上の繭の中で蛹(サナギ)となり脱皮してほどなくして空中に飛び立っていったものと思っていた。
しかし今(2023年2月)Yahoo!で調べてみると、蛹から脱皮した成虫は蛾(ガ)となるのだが、翅(ハネ)はあるが羽ばたくことはできないことがわかった。体が大きいことや飛翔に必要な筋肉が退化していることが原因だそうだ。
私が見つけた梁の上のお蚕様は家から抜け出すことができずに天井から落下して死んでいたのであった。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」(いずれも風媒社)など