第60回 鍵がない
公開日:2022年9月 2日 09時00分
更新日:2023年8月21日 11時48分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
8月4日:木曜日。次の日に新車が納車される予定であった。
暑い日だった。
私はクリニックで患者を診た。
私の診ている患者の中に物忘れがひどくなっている患者がいた。コロナによって外出しなくなったのが原因であろうと思われた。
「今の総理大臣は誰ですか?」と私が聞いた。
聞いてから「わからないけど、先生教えてください」と言われたらどうしようかと思った。私は、総理大臣の名前を忘れていたのだ。
患者が覚えていて「キシダーー」と答えてくれてほっとした。
午後1時に診察を終え、大学の研究室へ行き、扉の鍵を開けようとしてズボンのポケットを探ったが鍵がなかった。
ポケットから鍵を出してドアを開けて部屋に入り、スリッパに履き替えてパソコンを起動するという一連の作業工程が始まる前に遮断されてしまった。
私は日常で使用する鍵を、全て一つのリングにまとめて持ち歩いているので今後の私の行動が全て不可能になってしまう。
家に帰っても我が家に入ることもできない。
一瞬、私の頭は混乱して、これから何をなすべきかわからなくなった。
鍵が何時なくなったかわからないし、何処に忘れてきたのかも咄嗟には思い出せなかった。
普段であれば、どうってことはない事件なのだが、その時はうろたえた。
自分がどこにいるのか、自分が何者なのか、思い出せないような気分になりそうであった。
私の身に何か不穏の気配が襲ってきたのではないかという不安に襲われた。
認知症が忍び寄ってきたか?
研究室のドアの前で私はしばらく佇んでいた。
私は気を取り直して、その日の行動から紛失の場所を思い出そうとした。
脳の中のビデオを逆に回していった。
研究室に来る前に、Coco壱番屋でカツカレーを食べた。患者を診たときに座っていたクリニックの椅子、通勤途中の車の中、そのどれもがいつもの場所で、いつもの行動であり鍵紛失の機会とはなり難かった。どの行為の途中でもズボンの右ポケット深くに位置していたはずの鍵がすり抜ける可能性は低かった。
いつもとは異なった状況は次の日の新車の納車であることに気が付いた。
朝、新車購入に備えて今の車のトランクを整理したのを思い出した。
車のトランクを開けるときに家の鍵をドアにさしたままにしてきてしまったに違いない、と思った。
我が家の駐車場は玄関のドアの前に位置している。
私は急いで、車を走らせた。そして家の玄関のドアにささったままの鍵の束を発見した。
その間に大学の会議があるのをすっかり忘れてしまっていた。
午後2時からクリニックに新規に入るMRIの講習会があったのもすっぽかした。
電話があったらしいが、その電話にも気づかなかった。
私は鍵の紛失という一点に集中してほかのことに注意が向かなかったのだ。
私はどうやら認知症ではなかったようだが、老化は進んでいることがわかった。
同時に進行する作業を並行して行えなくなるのが老化の特徴の一つである。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」(いずれも風媒社)など