第34回 思い過ごしー春の雨ー
公開日:2020年7月 3日 09時00分
更新日:2023年8月21日 12時54分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
5月の中旬の金曜日、雨が降っていた。
私の外来を予約してあった畑山さんが予約の時間に来なかった。
定期的に受診していた畑山さんが何の連絡もなく受診しないことに私は一抹の不安を覚えた。彼は3週間前にも受診する筈であった。
今回で3回目の受診回避である。
既に薬はなくなっているはずである。
何か不測の事態が生じたか?
雨に煙る窓を眺めて私は畑山さんが心配であった。
30年の間毎月欠かすことなく朝一番目の患者であった。
私の外来は患者数が少ないので順番を取る必要はないのだが彼は早朝から来院して診察室の前で待っていた。
それがどうしたことか2週間続けて予約の日に来院しなかった。
そしてその日も待合室に彼の姿はなかった。
82歳の畑山さんは20年前に奥さんを亡くして一人暮らしである。
最近物忘れが進んだが日常生活をかろうじて送ることができる程度に自立している。
彼の奥さんは大柄の女性で包み込むような優しさがあった。
どういういきさつで信州の農家の娘と九州男児の建設会社員が一緒になったのか不明である。
二人は子供を作ることもなく平凡な生活をしていた。
奥さんも私の受け持ち患者であったが59歳で死んだ。多発性嚢胞腎(たはつせいのうほうじん)による腎不全であった。
彼女は確かな経済感覚の持ち主であった。
そのおかげで畑山さんは奥さんの死後に定年になってからでも経済的には苦労せずに生活できている。
奥さんの思い出は上書きされることはなく畑山さんの海馬に残っている。
奥さんは私と同郷の信州の伊那谷の出身であった。
畑山さんは「女房は傘の似合う人だった」と言う。
雨が降ると着物の裾をはしょって半身になって水たまりをよけながら会社まで傘を持って迎えに来てくれた姿が今でも蘇るそうだ。
私にも特別に保存された「信州の傘の思い出」がある。
母の思い出だ。
雨が降ると母が傘を持って迎えに来た。
母の傘に入って歩く雨の日は心が踊った。
蛇の目傘の油の匂いがした。
雨は民家も大地にも平等に降り注ぎ百姓の仕事を休ませてくれた。
伊那谷に雨が降ると住み心地の良い安堵感が漂った。
6月の雨には6月の匂いがした。
畑山さんにとっての私は、彼の奥さんの思い出を共有できる唯一の人間である。
だから月に一度私に会うのが彼の楽しみであった筈だ。
それが3回も受診しないとはどういうことだろう?
何か事変があったに違いない。
急変してどこかの病院に担ぎ込まれているのかも知れない。
診察の終わりに私は畑山さんに電話をかけてみた。
どこかに入院していて在宅していないのではないかという私の想像に反して彼はすぐに電話に出た。
「すみませんでした。来週には必ず行きます」
それは、それは元気な声であった。
心配は杞憂に終わった。
そして彼は言った。
「コロナが怖くて、怖くて」
新型コロナウイルスへの感染が怖くて病院へ近づけなかったのだった。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」(いずれも風媒社)など