第73回 年を取るー神の呪いか恩寵かー
公開日:2023年10月 6日 09時00分
更新日:2023年10月 6日 09時00分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
我が家の前は大学付属の幼稚園である。
居間の窓から眺めると幼稚園の駐車場があり、その奥に雑木林がある。
雑木林は四季折々に姿を変える。
暴風に耐えて折れんばかりにしなう時もあれば、完全に静止している時もある。
刻々と変化して四季が巡ってくる。
数年前は雑木林には無数の赤とんぼが舞っていたが、最近ではほとんど姿をみせない。
夕暮れ時のわずかな時間に姿を現すだけだ。
夏の日の午後、風のない日だった。
私は全く静止して動かない雑木林を見ていた。
「井口先生はまだ働いているの?とS先生が言っていました」週に一度外来診療に出かけていた郊外の病院で看護師が言ったことを思い出していた。
若い医者が言ったであろう、それから先の言葉を聞くのを止めて病院から帰ってきた。
「いい年をしてまだ働いているのか」
と、その若い医者は言ったに違いないと思ったからであった。
幼かった頃、「噂を詮索してはいけない。深く探ればきっと悪い話が待っている」といつも思っていた。
私は用心深い子どもであった。
私自身に関する問題を掘り下げていくと不幸の結末が待っていることを幼いころから知っていた。
私の父親は戦死していた。私が1歳のときである。その事実を私は知らされずに父の弟を実の父親と思い込まされて育てられていた。
父の秘密にたどり着きそうになると大人が私を抱っこしてよその場所へ連れて行った。
私の周辺から父の影が消されていったのである。
ひそひそ話の向こう側には悪い真実が待っていると、幼いころから感づいていた。
「本当のことを知りたがらない」ことを大人たちが私に教え込んだのである。
真実に近づくと、その場所から身を引いていく卑怯さを身に着けてしまった。
年齢を重ねれば周囲の人間たちの言動に惑わされることはなくなって、自己を冷静に客観的に眺めることができる境地に達するに違いないと思っていた。
しかし、こうして年を取ってみると、思い込みは激しくなる一方だし、先行きを悲観するのは若い頃と変わらない。
人の噂に心を乱されることも次第に消えていくだろうと思っていたが、相変わらず不快な噂は他の不快の噂に繋がっているように思えてくる。
向かいの雑木林の上の空に夕暮れが迫ってきた。
「井口先生はまだ働いているの?」と看護師に聞いたその医者は、そのあとで「年を取っても働く先生は凄いね」と、私を褒めてくれたに違いないと、私は思い直した。
赤とんぼが一匹、夕空に舞うように消えていった。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」「老いを見るまなざし―ドクター井口のちょっと一言」(いずれも風媒社)など