第31回 新型コロナが流行っている
公開日:2020年3月31日 09時00分
更新日:2023年8月21日 12時55分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
私の大学では、毎年秋になるとインフルエンザの予防接種をする。
学生から職員まで総数1,000人以上に3日間かけて行う。
昨年私は問診を担当した。3時間に300ほどの人に面接をした。
体調の悪い人や体温が37.5度以上の人はその日の接種は避けるように指導する。
ほとんどの人に問題がないので単調な作業の繰り返しであった。
女子学生の一人が「注射――痛いですか?」とすがるような目つきでつぶやいた。
「痛いよ、滅茶苦茶痛いよ!!」と私が脅すと恐怖にゆがんだ表情でつぶらな瞳に涙が滲んだ。
文壇の長老であるY教授の体温は35.6度であった。
この頃体温の低い人が多い。
「私はいつも体温が低いんですよ」というので
「体温が低い人は長生きなんですよ」というと
「本当ですか?」と嬉しそうな表情になった。
すかさず「嘘だよ」と訂正すると
「嘘かよ?!医者が言うと本当に聞こえるじゃないか!!」と長老の教授は言った。
新型コロナが流行っている。
医者であっても実際に新型コロナを診たことはないので、報道されている事実しか分からない。
新型コロナに関する知識量は医者と患者に大差はない。
ペストのように致死率は高くはないが高齢になるほど死にやすいということだ。
無症候のキャリアが日本中の至る所に散在しているらしい。
彼らは呼気から盛んにコロナウイルスをまき散らす。
だから人間同士が近寄ってはいけないということで、予定されていた会議や卒業式や送別会が軒並みキャンセルになった。
おかしなことに行きつけのスーパーからトイレットペーパーが消えた。
戦後まだトイレットペーパーがこの世の中に存在していなかった頃は古新聞紙がその役割を果たしていた。
このままだと新聞紙をよく揉んで柔らかくして尻を拭くことになる時代に逆戻りするのではないかと心配している。
私が幼かった頃の信州の田舎では医者に診てもらうのは死ぬ前だけであった。
まだ国民皆保険制度のなかった頃で、風邪で医者へ行くことはなかった。
1960年代に国民皆保険制度が達成されると「熱が出たらなるべく早く医者にかかれ」と日本人は教育されてきた。
「医者に行けば何でも治る」と思われていたのだ。
昨今のコロナ騒ぎで政府は「風邪のような症状があっても医者へはいくな」と指導している。
熱が出ても医者にはかからずに2日間は家で我慢せよとのお達しである。
医者に「大丈夫!と言われなくても大丈夫だ!!」と言っているのである。
「今までの医者は何をやっていたのだろう?」と思う国民が現れても不思議ではない。
これからの日本国民は「医者が言うことは本当に聞こえない」ということになるのではないかと心配しているこの頃である。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」(いずれも風媒社)など