第54回 カムカムエブリバディ
公開日:2022年3月 4日 09時00分
更新日:2023年8月21日 11時50分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
令和4年1月初旬、水曜日。外は朝から吹雪であった。
ウイークデイであったが一日中、家で過した。NHKの朝の連続テレビ小説「カムカムエブリバディ」でトランペットのサッチモが話題になっていた。私たちの学生時代に流行った懐かしい名前だった。
私は朝から詩集を探していた。学生時代にN君と二人で作った詩集である。
50数年前、大学の教養部を終えて医学部へ進学したときに下宿を探して大学近辺の町を探し歩いた。辿り着いたのが雑貨屋の2階であった。昭和40年代の初めで私たちは大学3年生であった。
N君と二人で4畳半の下宿に住み着いた。
学生運動が世界中に吹き荒れていた時代だった。
学園紛争で荒れていた大学は休校が続き私たちは暇を持てあましていた。
何かに餓えていて何かに不満であった。
内側から湧いてくる不愉快な気分を持て余していた。
二人で詩集を作った。私が詩を書いて彼がクレヨンで絵を描いた。
私は詩を書いているときだけ我が身の情緒不安から逃れることができていた。
二人の下宿生活が1年経った頃、N君が消息不明になった。
大学で会わないのは不思議ではなかったが、彼が下宿へ帰って来ないのは異常であった。
数週間の消息不明後に帰宅すると直ぐに下宿を変わっていった。
爾来彼と付き合うことはなかった。
学生運動をしていたと噂に聞いた。
二人の詩集は私の手元にあったが、大学を卒業してからは開いて見たことはなかった。
それから50年が経ち令和4年の正月を迎えた。
私は大学の同窓会の連絡役を務めている。
同窓生の死の情報が私のところへ入り葬儀の日付、場所を連絡網を通じて会員に伝えるのが役割である。
今年の正月明けに同窓生の一人からS君死亡の連絡が入った。
私は連絡網に従って電話をした。
コロナによる音信不通が2年に及ぶと身近に住む友人のこともわからぬようになっていた。
連絡網がところどころ破れてしまってきたために、N君への連絡は私が直接することになった。
彼に電話をするのは卒業後初めてであった。
私は彼と話ができると思うと久しぶりに興奮した。
しかし電話に出たのは奥さんであった。
「主人は1ヶ月前に亡くなっています」ということだった。葬儀は済んだという。
海岸の町で医者を続けているとばかりに思っていたN君が死んでいた。
詩集を探していたのはN君の死を知った日の翌日の朝のことだった。
書棚の奥から詩集がでてきたのは夕方だった。
埃にまみれた表紙を開けてみると、私の詩は独りよがりで、幼稚で読むに耐えるようなものではなかった。
N君の抽象画は丁寧にクレヨンで描かれており優しくて美しかった。
書斎の窓から外を眺めると朝からの吹雪は止んで雑木林の向こうに夕焼けが見えた。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」(いずれも風媒社)など