第11回 スーツにネクタイ
公開日:2018年7月23日 11時51分
更新日:2023年8月21日 13時03分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
運転免許証更新のための認知機能検査を受けた。
私はスーツにネクタイをして革靴を履いて出かけた。
試験場である教習所の待合室には男が7~8名で女性が5名、不安げな面持ちで椅子に座っていた。
「緊張するわ」と私の前に座っていた女性がいった。
病院の待合室のような雰囲気だな、と思った時に、左横の背もたれの無い黄色の椅子に座っていた老人が「カンゴフサン!」とカウンターの中にいる女性に声をかけた。
教習所に看護師がいるはずがないのに違和感はなかった。
教習所の事務員も慣れているようで、「ナニ?」とカウンターを出て老人に近寄った。
老人は「帰りもここを通るかね?」と聞いた。
傍らで怖そうな妻が座っていた。妻の付き添いがないと家に帰れないので妻はここで待っていていいか?という質問であった。
「お金を入れて」と事務員が言って私の横の飲み物を売っている機械に近づいてきた。そこには買った代価は機械の上にある箱に入れるようになっていた。お金を払わずにドリンクを持っていこうとする人に忠告をしたのだった。
ここに集う者全員が認知症予備軍のように心細そうであった。
「私は昔から馬鹿だから、そういうのは昔からだめだったのよ」と右側に座っていた女性が隣の女性に話しかけていた。
これから受ける認知症検査について予備知識を持っているようだった。「そういうの」とは認知症検査のことだ。
私も心細かったが、老人受験生たちを客観的に観察することによって平常心を保とうとした。
左横の人はMMSEで24点ぐらいで前の女性は26から27点ぐらいかな、と推測した。
係員が15人の受験者を試験場へ誘導した。15名が係員に引率されて別室へ連れていかれた。
試験場には小学校の机のような小さな机が横に4列、縦に5列ほどあった。
私は前から3列目の左側に着席した。
解答用紙4枚が渡された。
私が最後に試験を受けたのはいつだっただろう、と感慨に浸ろうとすると試験監督が言った。
「手を挙げて質問するように」、「時計を外すように」、そして「時計は隠すように」。
監督は60代の腹の出たおじさんだった。
最初は自分の名前と生年月日、それに現在の年と日付と時刻を書くようになっていた。
「自分の名前を書きなさい」と試験監督がいうと、「ハイ」と手を挙げる老人がいた。
どこにでも思ったことをすぐに口に出してしまう老人はいるものだ。
「フリガナを書くのですか?」
「それをこれから説明するんです」と、機先を制された監督は不機嫌な顔をした。そして「フリガナは書かなくてよろしい」と言った。
「生年月日を書いてください。大正、昭和、平成とあります。自分の生まれたのはどこか、丸で囲んでください。」それも試験の範囲だった。
平成生まれはまだ70歳になっていないし大正生まれはもう90歳を超えている。だから「皆さんは全員が昭和ですね」と試験監督は口が滑って解答を教えてしまった。
次は時間の問題である。「現在の時刻を書いてください」と監督が言うと「ハイ」とすかさず先ほどの人が手を挙げた。「時計を隠してどうやって知るんですか?」「それを今から説明しようとしてるんです!!」と監督はまた不機嫌になった。
受験生たちは半そでシャツに半ズボンである。私は一人だけサッカーの監督のようにスーツを着て革靴を履いていた。
試験監督は変人が紛れ込んだのではないかという目をして私を眺めた。
試験監督とは別に二人の係員が室内を巡回していた。場違いな服装の私に注目したようで、交互に私の机の上を覗きにきた。
私はそうやって二人の厳重な監視の下で試験を受けたが結果はまだ届いていない。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで ―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中で」(いずれも風媒社)など著書多数