第70回 めまい
公開日:2023年7月 7日 09時00分
更新日:2023年8月21日 11時44分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
大学を卒業してすぐに卒後研修医として精神科の病院で働いていた。
そこで患者に「病識を持たせる」治療をしたことがある。
患者は生まれてからどのような育ち方をしてきて現在に至っているのか?周囲の人間環境の中でどのような立場にいるのか?
患者と会話をしながら「患者が何者であるのか?」という難問を探っていくのであった。
患者に病識はつかなかったが私自身に病識がついていった。
「私は何者であるのかーー」
自分を裸にしていく作業は私自身の存在を根底から脅かす危険性を孕んでいた。
その不安に耐えられないと思った私は精神医学を専門とするのを諦めた。
子どもたちが幼かった頃、テレビは我が家では時間を無駄に消費させる危険物であった。
子どもが成長してからもその名残があり、テレビを見る時は罪の意識が伴ったものだが、7年前から4年間、テレビを見るのが仕事であった時期があった。
私はNHKのテレビ番組審査会の委員を務めた。
毎月、第三木曜日の午後2時に名古屋放送局に出かけて、前月の放送の批評をするのが務めであった。
予め指定された番組を一つと、自由に選択した番組の感想を4分間で発表した。
1か月前に評価する番組を知らされたのだが、私は何度も視聴して、原稿用紙に感想を書いて審査会に臨んだ。
最初は番組の短所を探しだしては批判を繰り返していたが、慣れてくると時には褒めたりしたものだ。
委員は中部地区の各県から一人ずつ、それに農協や新聞社の職域の代表、その中に学識経験者として私がいた。中には主婦もいた。
NHKにとっては、視聴者の意見を聞くための重要な会議である。局長以下幹部が総出で十数名出席していた。
居並ぶテレビ局の専門家の前で私は彼らを指導するような気分になっていた。
会議が終わり幹部たちに見送られて退出するときなど、私はテレビ批評の専門家になったような勘違いをしていた。
しかし帰宅して時間が経って高揚していた気分が消えると、テレビ局の専門家の前でテレビ批評の専門家気取りで番組批判を披歴した自分に気が付くのだった。
「身の程知らず」であった自分の立ち位置が分かり始めると、私はめまいに似た感覚を覚えた。
人は自分の立っている位置が分からないときには「めまい」に襲われるものだが、社会的な立場が動揺しているときも「めまい」を感じるようだ。
あれから3年が経った。
テレビ批評の仕事がなくなった今では、テレビを見るのは野球中継ばかりである。
「めまい」はしなくなったが、中日ドラゴンズが負けてばかりいるので、一日中気分が悪い。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」(いずれも風媒社)など