第26回 東京の気楽さ
公開日:2021年1月15日 09時00分
更新日:2021年1月15日 09時00分
宮子 あずさ(みやこ あずさ)
看護師・著述業
私は生まれてから親元を離れる24歳になる年まで、杉並区下高井戸で暮らした。それ以降は1年足らず保谷市(現在は西東京市)に暮らした後、武蔵野市に移った。結局57歳になる今まで、東京西部で暮らし続けている。
最近東北地方の病院で働く男性看護師が病院に研修に来て、私の訪問に同行することがあった。時節柄、「新型コロナウイルスの感染者が出ると村八分のような状態になる」との話を聞き、「東京でもネットでたたかれたり大変ですよ」と返した。
しかし、感染者が桁違いに多い東京と、ごく少数の感染者しか出ない地方では、目立ち方が違うのだろう。東京の気楽さというのは確かにある、と思ったりもした。
この日の訪問看護は、精神症状としてはかなり重い人の家を訪れた。見た目は穏やかな初老の女性だが、ひとたび口を開けば妄想の話が止まらない。
「警察がだらしないから、私が代わりに忙しくなっちゃう。東京はひどいもんでしょう?鍵をかけてもかけても変なヤツが入ってきて。悪党どもがやりたい放題。汚物をまき散らしたり、毒をまかれたり。私が闘わないと、死人がざくざく出てくるのよ」
女性とは、私が訪問看護を始めた時からのつきあいなので、かれこれ11年こうした話しを聞いている。彼女に限らず、妄想を聞くのは面白い感覚で、言葉のシャワーを浴びているようだ。ところが、脈絡がない話は、記憶に残らない。話を聞くそばから、そのほとんどを忘れてしまうのである。
訪問を終え、自転車で病院に戻る道すがら、同行した彼は、こんな感想を言ってくれた。
「あんなに症状が強い人が地域で暮らせるのは、やっぱり東京だからだろうな、と思いました。自分の地元だと、やっぱり難しいですね。地域の人の目があって、アパートを借りて住むのは無理だと思います。まだまだ偏見が強いから......」
これまでにも何人か他の病院で働く人が研修に来た際、これと似たことを言うのを聞いた。先ほどのコロナの話ではないが、東京のように人が多いと、何かあっても、目立たない。偏見そのものはあったとしても、見逃されて差別されずにすんでしまう。そんな気楽さがあるのは確かだと思った。
改めて考えてみると、今日訪問した女性は、四国出身。東京に出てきてから発症し、故郷には戻らなかった。親はもう亡く、きょうだいとは音信不通である。私が勤める病院には、そのような身の上の患者さんがたくさんいる。
しかし、こうした歴史は変わりつつある。最近では、精神疾患に対する内服治療も良くなり、短い入院で自宅に帰るようになった。長期入院を経て家族との関係が希薄になる例も、かなり少なくなっている。今後、故郷に帰れない患者さんは、きっと減っていくに違いない。
そもそも、どこに生まれるかは、誰にも選べない。生まれた地域によって、病気になった時の扱いが異なるのは、あまりにも理不尽である。
長らく精神疾患は、発症したら最後、故郷に帰れない病気のひとつであった。そのような病気を作ってはならないと、改めて思った。
著者
- 宮子 あずさ(みやこ あずさ)
- 看護師・著述業
1963年生まれ。1983年、明治大学文学部中退。1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業。1987~2009年、東京厚生年金病院勤務(内科、精神科、緩和ケア)。看護師長歴7年。在職中から大学通信教育で学び、短期大学1校、大学2校、大学院1校を卒業。経営情報学士(産能大学)、造形学士(武蔵野美術大学)、教育学修士(明星大学)を取得。2013年、東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。博士(看護学)。
精神科病院で働きつつ、文筆活動、講演のほか、大学・大学院での学習支援を行う。
著書
『宮子式シンプル思考─主任看護師の役割・判断・行動1,600人の悩み解決の指針』(日総研)、『両親の送り方─死にゆく親とどうつきあうか』(さくら舎)など多数。ホームページ: