第70回 エスカレータとエレベータ
公開日:2024年9月13日 08時30分
更新日:2024年9月13日 08時30分
宮子 あずさ(みやこ あずさ)
看護師・著述業
超高齢社会と言われて久しい。私自身も60代になり、先々の自分を想像することが増えた。まだまだ元気なものの、今ほど歩けなくなったらどうするか。
歩行に苦労しているお年寄りの姿を見ては、人ごとではない気持ちになっている。少しでも歩きやすいよう道をあけるなど、自分ができる手助けはしてあげたいと思う。
この視点から、とても気になることがある。それはエスカレータの乗り方。到着したフロアで次の一歩が出ず、立ちすくんでいるお年寄りをよく見かける。
ほとんどの場合、一瞬立ちすくんでも、後ろから押されるように次の一歩が出る。
しかし、それがもし出なければ・・・。次から次に到着する人がたまり、最悪将棋倒しにもなりかねない。混雑しているエスカレータでは、特に要注意である。
私がこんな話をするのは、実際恐い思いをしたからだ。
2012年に80歳で亡くなった母は、長年慢性肺気腫を患い、最後の数年は在宅酸素療法を行っていた。初めは携帯用の酸素ボンベをカートで引き、飛行機で旅にも出るほど活動的だったが、徐々に呼吸機能が低下し、歩く速度もゆっくりになった。
1人で出かけるのは難しくなり、外出には付き添いが必要になった。私も何度か付き添ったが、鬼門のひとつがエスカレータだった。
なぜなら、母は一度立ち止まると、最初の一歩を踏み出すのが一苦労。エスカレータに立っていたあとも同様で、フロアについても足がすぐには出ない。
私がまず押し、前に出て引っ張り・・・。どうにかエスカレータから降ろすのだが、すぐ後ろに人が乗っていると、母にぶつかり、互いに転びそうになることもあった。
「危ねえなあ、さっさと歩け」。そんな暴言を浴びたこともある。確かに、エスカレータで、目の前の人がいきなり止まったら、あとに乗っている人は恐い思いをしてしまう。
本来ならば、エレベータに乗るべきなのだろうが、これはこれで、難しい事情もあった。
なぜならエレベータは、建物入り口から奥にある場合が多く、エスカレータの方が便利な場所にあったりする。呼吸機能が低下した母にとっては、歩行自体が難しく、目的地までのルーティングも、工夫が必要になった。
遠くのエレベータよりも近くのエスカレータ。当時の母に選択の余地はなかったのである。
その後母の呼吸機能がさらに低下すると、私が車椅子を押し、エレベータで移動するようになった。それは私にとって、以前より安心な移動であったが、母にとっては、どんなに無念だったかと思う。
当時の経験から、私はお年寄りのあとにエスカレータに乗る場合は、2段は空けて乗るようにしている。車の安全が車間距離にあるように。相手が立ち止まっても対処できる間隔を空けておくのが望ましい。
私も、母の付き添いに慣れてからは、あとの人との距離を置くため、母の後ろに乗るようにした。これによって、だいぶ危険は回避できたと思う。
ちょっとの工夫とゆとりで、みんなが安全に暮らせますように。
<近況>
あっという間に立秋が過ぎ、暦の上では秋ですが、相変わらず暑いですね。
エスカレータに乗ると、よく母のことを思い出します。写真は、75歳頃の母。ステロイドをかなり使っていた時期で、ムーンフェイスが目立ちます。でも、かなり元気で、携帯用の酸素ボンベにおしゃれな特注カバーをかぶせて、こんな風に歩いていました。
本当におしゃれな人だったんだなあ、としみじみ。
著者
- 宮子 あずさ(みやこ あずさ)
- 看護師・著述業
1963年生まれ。1983年、明治大学文学部中退。1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業。1987~2009年、東京厚生年金病院勤務(内科、精神科、緩和ケア)。看護師長歴7年。在職中から大学通信教育で学び、短期大学1校、大学2校、大学院1校を卒業。経営情報学士(産能大学)、造形学士(武蔵野美術大学)、教育学修士(明星大学)を取得。2013年、東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。博士(看護学)。
精神科病院で働きつつ、文筆活動、講演のほか、大学・大学院での学習支援を行う。
著書
「まとめないACP 整わない現場,予測しきれない死(医学書院)、『看護師という生き方』(ちくまプリマ―新書)、『看護婦だからできること』(集英社文庫)など多数。ホームページ: