第69回 片付けの極意
公開日:2024年8月 9日 08時30分
更新日:2024年8月 9日 08時30分
宮子 あずさ(みやこ あずさ)
看護師・著述業
2012年に家を新築し、早12年が経った。生活動線を考え、なるべく散らかりにくい家を工夫したのだが、年々たまったものが徐々にあふれてきていた。
そこにとどめを刺したのが夫の在宅勤務。ダイニングテーブルは仕事用のパソコンが常時置かれ、周囲に書類などがたまりっぱなしになる。
病棟では、「ベッド周囲のものはきちんと片付けてキャビネットに入れましょう」などと、患者さんにお願いする身だが、正直言えば、私自身、決して片付けは得意な方ではない。
今の家に住む前は、古い家に十数年住んだ。引っ越しに際しては不用品の整理をしたが、とにかく捨てたものが膨大だった。
当時は近藤麻理恵さんの片付け術がものすごくはやっていて、手に取ってときめくものだけを手元に残す、取捨選択が勧められていた。その後近藤麻理恵さんは渡米。米国でもその片付け術は人気を博しているようだ。
これはあくまでも好みなのだが、私は今ひとつ気持ちが乗りきれなかった。理由は、なんとなくスピリチュアルな印象。片付けは大事だけど、人生まで説かれてもね・・・・・・。
そんな風に思ってしまうのは、私があまのじゃくゆえ。でも、その感覚は、意外に私の本質的な部分であり、やっぱり気乗りしないものは受け入れ難いのだ。
それでも、ひとつとても参考になったのは、要らないものを選ぶのではなく、残したいものを選ぶ。その基本姿勢だった。
服にしても本にしても、食器にしても、どれが要らないかを決めようとすると、どれも要るような気がして、なかなか決まらない。
ところが、残したいものという目で見ると、意外に選べてしまう。こうして私は、気に入ったものだけを選び、あとは潔く捨てたのだった。
これは、美術の世界で言われる<図と地の反転>とよく似ている。図と地の反転とは、ある図形において、一定の領域が図に見えたり、地に見えたり、二種の見え方が交代して現れる事象。要らないものを見る時と、残すものを見る時で、見え方が変わるのである。
私たち夫婦も、60代になった。夫の在宅勤務も、いつしか定年後の延長戦。片付けろ、片付けろというのも、長くて数年か。そう思うと、まあまだしばらくはいいか。そんな気持ちになってきている。
終活という言葉もすっかり一般化したが、年を重ねてものが減らせないのは、多くの人に共通の悩みと見える。訪問看護でいろいろなお宅にうかがったが、家が広ければ広いなりにものをためてしまうのが人間。家を片付け、それを維持するのは本当に大変なことだ。
だからといって完全に諦めるのも淋しい。大変なことだからこそ、片付けは無理なく少しずつ。元気のあるうちにやるのが楽だとは思う。
まずは私自身のものから、少しずつ。気に入ったものを残すようにしていこう。
<私の近況>
暑い夏、冷たい食べ物がおいしい季節です。わが家は週に一度は<フレッシュトマトドレッシング冷製カッペリーニ>を作ります。湯むきしたトマトに刻みニンニク、白ワインとオリーブオイル、塩とこしょうで作ったドレッシングを、カッペリーニにかけるだけ。作り置きしておけるのもいいんですよね。暑い夏、しっかり食べて乗り切りましょう!
著者
- 宮子 あずさ(みやこ あずさ)
- 看護師・著述業
1963年生まれ。1983年、明治大学文学部中退。1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業。1987~2009年、東京厚生年金病院勤務(内科、精神科、緩和ケア)。看護師長歴7年。在職中から大学通信教育で学び、短期大学1校、大学2校、大学院1校を卒業。経営情報学士(産能大学)、造形学士(武蔵野美術大学)、教育学修士(明星大学)を取得。2013年、東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。博士(看護学)。
精神科病院で働きつつ、文筆活動、講演のほか、大学・大学院での学習支援を行う。
著書
「まとめないACP 整わない現場,予測しきれない死(医学書院)、『看護師という生き方』(ちくまプリマ―新書)、『看護婦だからできること』(集英社文庫)など多数。ホームページ: