第52回 知らないでいる権利
公開日:2023年3月10日 09時00分
更新日:2024年9月13日 16時42分
宮子 あずさ(みやこ あずさ)
看護師・著述業
私は看護師として働きながら、看護師や看護学生を対象とした研修会に招かれることがある。テーマは精神科看護、終末期看護、仕事のやりがいなどさまざまであるが、最近は倫理に関する依頼が増えてきた。
研修の準備をする中で、私自身も新たな発見を繰り返している。最近では、看護師が患者の人権を守り、患者中心の看護を行う指針である『看護職の倫理綱領』の一文に、はっとさせられた。
16ある条文の4番目のタイトルは「看護職は、人々の権利を尊重し、人々が自らの意向や価値観にそった選択ができるよう支援する」。その具体的な支援として、綱領は「十分な情報に基づいて自分自身で選択する場合だけでなく、知らないでいるという選択をする場合や、決定を他者に委ねるという選択をする場合もある」と記載している。
私がはっとしたのは、「知らないでいる権利」という部分。これまでは、いかに患者さんに正しい情報を伝えるか、を考えてきたのだが、「知らないでいたい」という人にどう関わればいいのだろうか。
ところが、自分に照らして考えてみると、気付かずしてこの権利を行使している。私は長年の頭痛持ちだが、「おそらく眼精疲労」とあたりをつけ、特に頭の検査は希望していない。
その理由は明確で、小さな未破裂動脈瘤が見つかり、手術するかしないかで悩むのが嫌だからだ。
このようにはっきり考えるきっかけは、30代の頃、知り合いの脳外科医から聞いた言葉だった。
「画像診断が良くなって、本当に小さな異常が見つかるようになっています。でもね、その分、悩みも深まっているんですよ。未破裂動脈瘤がうんと小さい時期に見つかるでしょう。うんと小さいとね、手術によって梗塞が起きたりするリスクと、放っておいて破裂するリスクが、どっこいだったりするんです。僕はもう、見つからない方がいいと思って、脳ドックは受けません」。
私は看護師になったばかりの頃、脳動脈瘤の手術によって、脳梗塞を起こした若い女性と関わった経験がある。術中は脳の血流を一時的に止める。それが元になっての後遺症だった。
それだけに、脳外科医の言葉は重く響いた。以来私は、余程の異常がない限り、積極的に脳の検査はしないと決めた。
ただしこれはあくまでも私の<知らないでいる権利>であり、他の人に求める義務ではない点を強調したい。積極的に検査をして、異常が見つかれば早く対処する。早期発見・早期治療が、病気を治す王道であるのは間違いない。私も多くの場合は、そのように対処している。
ただ、一般に診断技術が上がるほど、「どこまで知ろうとするか」が問題になってくるのも事実である。遺伝子レベルの検査になってくると、その検査そのものの倫理性が問われることにもなってくる。
私は訪問看護で利用者さんから不調を訴えられると、すぐに受診を勧めてきた。そして、それが受け入れられないと、健康への意識が低い、と決めつけるようなところがあった。
しかし、<知らないでいる権利>という側面から考えると、そのように断罪するのは、間違っていたように思う。利用者さんは、利用者さんなりに、受診せず、知らないでいることを選んでいたのかもしれない。
特に長い間に生活パターンが固定してきた高齢者では、身体不調はつらくとも、何か病気が見つかり、暮らしを変えろと言われる怖さもあるだろう。
もちろん、だからといって放置できない場合もある。その場合でも、知らないでいたい、と思うその人の心情は、十分理解したい。
この条文には、<知る権利><知らないでいる権利><人に決定を委ねる権利>という3つの権利が書かれている。患者さんやそのご家族にも、こうした権利について、ぜひ知っていただきたいと思う。
看護職の倫理綱領
(2023年2月22日閲覧)
<私の近況>
今回はちょっと硬い話になりましたが、倫理の学習を深める中で、改めて人権について考えています。看護師は患者さんの人権を擁護する立場、と看護師になった時から聞かされてきました。そして、精神科では、看護者によって患者の人権侵害が横行した歴史もあり、特にそこが強調されています。
一方で、ネットを中心に、高齢者や障がい者への差別的な発言が、以前にも増して聞かれるようになりました。この現状に、私は強い危機感を持っています。
そんな問題意識で手に取ったのが、藤田早苗著『武器としての国際人権 日本の貧困・報道・差別』(集英社新書)。これまで漠然と分かった気になっていた人権問題について、自分が全く甘かったことがよくわかりました。
多くの方に読んでいただきたいと思い、紹介いたします。以下は、この本を踏まえた藤田さんの対談記事。本の概要がわかりやすく語られています。
(2023年2月22日閲覧)
著者
- 宮子 あずさ(みやこ あずさ)
- 看護師・著述業
1963年生まれ。1983年、明治大学文学部中退。1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業。1987~2009年、東京厚生年金病院勤務(内科、精神科、緩和ケア)。看護師長歴7年。在職中から大学通信教育で学び、短期大学1校、大学2校、大学院1校を卒業。経営情報学士(産能大学)、造形学士(武蔵野美術大学)、教育学修士(明星大学)を取得。2013年、東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。博士(看護学)。
精神科病院で働きつつ、文筆活動、講演のほか、大学・大学院での学習支援を行う。
著書
「まとめないACP 整わない現場,予測しきれない死(医学書院)、『看護師という生き方』(ちくまプリマ―新書)、『看護婦だからできること』(集英社文庫)など多数。ホームページ: