第63回 闘う意味
公開日:2024年2月 9日 09時00分
更新日:2024年2月 9日 09時00分
宮子 あずさ(みやこ あずさ)
看護師・著述業
「宮子さん、宮子さん、こっち来て~。お願い~」
ホールのテーブルに車椅子で座っている70代の女性・Tさんが、いつものように私を呼んでいる。
理由はわかっている。好みのおやつを買ってきてほしいのだ。
慢性期閉鎖病棟には、日常生活に支援が必要な患者さんに限り、看護師がお世話するおやつの時間がある。
10時と15時の1日2回、ナースステーションで預かっているおやつの中から、看護師が適当により分け、提供する。
Tさんは、いろいろな種類のお菓子を食べたがるので、おやつを預かる引き出しがすぐにいっぱいになってしまう。
そばに行くと、案の定、おやつを買ってきてほしいという。
「ピザパンが食べたいの。明日買ってきて~」
「Tさん、気持ちはわかるけど、もうお菓子の引き出しがいっぱいなんです。今あるお菓子を食べてからにしましょう」
「え~、だってピザパン食べたいんだもん。買ってええええ」
Tさんは泣きそうな顔で言う。もはや理屈ではない。食べたいから買って。それだけである。
共用のお菓子の引き出しがいっぱいになって他の人のお菓子が入らなかろうと、そんなことはどうでもいいのである。
私はこうした時、一度か二度ダメ出しをしてみるものの、ほとんどの場合、最終的には希望を飲んでしまう。
理由は、だだをこねる大人を見ているのがつらいからだ。
いかに病気とは言え、大人は大人なのである。聞き分けのないことを言い続けられると、本当にがっかりしてしまう。
同僚の多くは、Tさんの希望はぴしゃりと断る。だから、Tさんは私に頼めばなんとかなると考え、私に頼む。勢い語調は必死になり、叶えられるまで言い続けるのだろう。
看護の仕事には、人に対して決然とNOを突きつけ、闘わねばならない場合がある。Tさんの場合も、食べたら身体の害になる場合は、断わる以外の選択肢はない
けれども、おやつだけが楽しみになっているTさんがほしいピザパン1個のために、闘うべきなのか。私には、闘う意味が見いだせない。
「わかった。明日買ってきましょう」というと、「お願い、ありがとう」とTさん。
「おやつだけが楽しみなのも、淋しいでしょう。もう少し変化がある生活ができるよう、病院以外の所で暮らせるといいのかなあ」とつぶやいてみたが、答えはなかった。
Tさんの入院生活は間もなく30年になる。
やはり、長期入院は失うものが大きい。自分にできることを考えながら、今年もがんばろう。
<私の近況>
わが家の年賀状です。年明けは、能登半島の地震に加え、旅客機と海上保安庁の飛行機が衝突して炎上するなど、悲惨な出来事が重なる幕開けとなりました。この後もいろいろありそうな1年。少しでも健やかに、楽しく暮らしていきたいですね。わが家の年賀状です。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
著者
- 宮子 あずさ(みやこ あずさ)
- 看護師・著述業
1963年生まれ。1983年、明治大学文学部中退。1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業。1987~2009年、東京厚生年金病院勤務(内科、精神科、緩和ケア)。看護師長歴7年。在職中から大学通信教育で学び、短期大学1校、大学2校、大学院1校を卒業。経営情報学士(産能大学)、造形学士(武蔵野美術大学)、教育学修士(明星大学)を取得。2013年、東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。博士(看護学)。
精神科病院で働きつつ、文筆活動、講演のほか、大学・大学院での学習支援を行う。
著書
「まとめないACP 整わない現場,予測しきれない死(医学書院)、『看護師という生き方』(ちくまプリマ―新書)、『看護婦だからできること』(集英社文庫)など多数。ホームページ: