第46回 病気と確率
公開日:2022年9月 9日 09時00分
更新日:2022年9月 9日 09時00分
宮子 あずさ(みやこ あずさ)
看護師・著述業
新型コロナウイルス感染が収まらぬ中、政府は行動制限を行わず、私たちの生活は以前より自由になっている。3年ぶりに迎えた行動制限がない夏休みは、新型コロナウイルス感染拡大前には届かぬものの、昨年に比べれば旅行を楽しむ人も増え、観光地は賑わった。
この政策には賛否両論だが、私自身は、正直、どちらとも言えない気持ちでいる。確かに、行動が拡大すれば感染者が増える懸念はある。だが、その一方で、感染拡大から2年半が過ぎ、長期の行動制限は、心身ともに有害なのは確かである。
私が働く精神科医療の領域では、新型コロナウイルス感染と同じくらい、行動制限が引き起こす問題が深刻になっている。3月までいた訪問看護の現場でも、それは痛感してきた。
例を挙げると、精神的ストレスからのアルコール問題、家庭内の暴力、うつ状態。活動の低下から、高齢者を中心に、寝たきりになったり、認知症が進む人も目立ち始めている。
こうした行動制限のマイナス面を知る立場としては、「感染拡大で医療が逼迫しているのだから、今すぐ行動制限を」とは言いづらい気がして、モゴモゴしてしまう。モゴモゴする、と言うのは、きっと立場が変われば見えるものも違うと思うからだ。
同じ看護師でも、精神科の慢性期病棟と身体科の急性期病棟では、扱う疾患も全く違う。実際私は、新型コロナの患者さんを実際にケアしたことはない。病棟の職員に陽性者が発覚した際、患者さんにも抗原検査とPCR検査を行ったくらいのものである。
病棟では、感染拡大以降、感染防止のために院外への外出を控えてもらっている。制限の長期化により、患者さんのストレスは限界に近づいているように見える。また、家族の面会も制限しているため、家族との距離が開いてしまうことも気掛かりである。
一方、今私が、救急医療の現場にいたら、と想像してみる。救急医療の現場にいたら、次から次へと感染者が押し寄せ、他の重症者が見られない状況に対して、怒りを禁じ得ないだろう。そうなれば、「医療が逼迫しているのだから、今すぐ行動制限を」と躊躇なしに言えるに違いない。
立場が変わると見えるものが変わる。一番言いたいと思うことも、自ずと変わってしまう。臨床で働く者として、自分とは違う臨床があることもわかっておきたい。
では私自身はどのように行動するか。これはかなりシンプルである。まず、必要な外出は我慢しない。ただし、マスクは装着する。そして、ワクチンは最大限接種する。このように、個人でできる限りの対応をした上で、少しでも体調に異変があれば、病院から支給されている抗原検査キットを使って検査をするつもりだ。
また、政府が行動制限を求めない根拠として、現在流行の中心になっているオミクロン株の性質を挙げている。一言で言えば、感染力は強いが、重症化リスクは少なくなっている、との見解である。
これについても、SNSなどでは強い反論が出ている。中には実際にかかって重症化した人の体験談もあり、非常に説得力がある。医療が逼迫する中、必要な治療が受けられない人も少なくない。「重症化リスクが少ないなんてふざけるな」「強力な行動制限を」と怒りの声が上がるのも当然である。
実際、感染力の強さは、疑いようがない。7月終わりから、身近な人が相次いで感染した。職場の仲間、親族、日常的に連絡を取り合う友人.........。合わせると20人以上になると思う。そして、幸いなことに、ただの1人も重症化せず、今の時点で後遺症も残っていない。
この現状から私は、「重症化リスクが低い」と言う政府の見解は、おそらく確率としては妥当なのだろうと考える。しかし、重症化した人にしてみれば、自分にとっての重症化リスクは、確率100%。「重症化リスクが低い」と言われていること自体に異議を唱えるのも、当然の流れだと思う。
また、情報の偏りもある。体験談として表に出るのは、多くは重症化した例。軽症で済んだ人は多くを語らず、医療者は病気を軽く見て欲しくない、という気持ちから、重症化した場合について語る傾向がある。
病気について確率で語るのは、本当に難しいと、改めて思う。重症化率が低くなっても、重症化する人はいる。そのことを忘れず、一人一人が日々の行動を決めていく。そんな日々がまだしばらく続きそうだ。
著者
- 宮子 あずさ(みやこ あずさ)
- 看護師・著述業
1963年生まれ。1983年、明治大学文学部中退。1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業。1987~2009年、東京厚生年金病院勤務(内科、精神科、緩和ケア)。看護師長歴7年。在職中から大学通信教育で学び、短期大学1校、大学2校、大学院1校を卒業。経営情報学士(産能大学)、造形学士(武蔵野美術大学)、教育学修士(明星大学)を取得。2013年、東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。博士(看護学)。
精神科病院で働きつつ、文筆活動、講演のほか、大学・大学院での学習支援を行う。
著書
「まとめないACP 整わない現場,予測しきれない死(医学書院)、『看護師という生き方』(ちくまプリマ―新書)、『看護婦だからできること』(集英社文庫)など多数。ホームページ: