第27回 日にち薬
公開日:2021年2月12日 09時00分
更新日:2021年2月12日 09時00分
宮子 あずさ(みやこ あずさ)
看護師・著述業
訪問看護でうかがっている70代の女性は、1年を超える長いうつが続いている。ひとり暮らしで、ほとんどの時間をベッドでやすんで過ごす。訪問に行くといつもベッドにいて、話しかけても返事はない。
「何かお手伝いできることありますか」と聞くと、テレビを見たまま首を振る。「変わりありませんか」と聞くと頷く。少し目を合わせてくれるようになったことさえ、大きな変化と評価している。
以前からうつになると今のような状態になった。年を重ねて、うつが長引くようになり、抗うつ剤でよくなる実感がもてないようだ。退院してすぐにうつになったため、入院してもよくならない、という気持ちも強い。また、薬についても同様で、効果が期待できないという。
結局この1年は最初の数週間しか治療が行えないまま時間が過ぎた。興味深いのは、そんな状況でも、うつが若干よくなってきていることだ。テレビを見たまま首を動かすだけでも、意思の疎通は改善している。以前は視線も合わせなかった。意思表示をしてくれ、視線が合うこともある。それさえ大きな変化と受けとめている。
今は毎回視線が合い、「いいです」「大丈夫です」など、わずかに言葉が聞かれることもある。先日は、薬を勧めたところ、「『日にち薬』でいいです」。久々に自発的な言葉が聞かれて嬉しかった。
薬物などを使わず時間が経つのに任せる「日にち薬」。確かに、今回はこれだけが功を奏しつつあるようにも見える。実際内服をやめて長いのだから。
しかし、これでよしとしてよいのかは、難しい所である。確かに、難治性のうつはあって、薬をいろいろ調整してもよくならない。むしろ副作用が目立つ場合も出てきてしまう。
「薬を増やしたら転んだ。飲まない方がマシだった」。「便秘がひどい。下剤を使うと、下痢をしてつらい」。「口が渇く。水をたくさん飲んだら、尿失禁してしまった」.....。
精神科で働いていると、多くの人から、こうした声が聞こえてくる。これを思えば、積極的に「日にち薬」を選ぶ人がいるのも、やむを得ないとは思う。しかし、できることなら、うつからは早く脱してほしいのも事実である。
なぜかというと、うつによる気力のなさ、身体の不調、自信のなさから来る悲観的な考えなどは、長引くほどに治りにくくなるように見える。うつを通して体験する世界が、現実として定着してしまうのだ。
これは、統合失調症の妄想ではよく起こり、早期発見早期治療の重要性が強調されるようになった。うつ病の場合は、顕著な妄想はないが、いわば病気によって作られた思考の癖が習い性になる。そうしたことは起こりうる。
うつが浅くなるだけでも、この悪影響は減らせるだろう。そのためには、内服治療をぜひ試してほしい。今回取り上げた女性に対しても、同じ気持ちである。
「薬が効かない」と決めつけてしまった彼女だが、やはり薬の中断によって、うつが長くなったようにも見える。何より、「日にち薬」は治療との併用が効く。機会があれば、伝えたいと思っている。
著者
- 宮子 あずさ(みやこ あずさ)
- 看護師・著述業
1963年生まれ。1983年、明治大学文学部中退。1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業。1987~2009年、東京厚生年金病院勤務(内科、精神科、緩和ケア)。看護師長歴7年。在職中から大学通信教育で学び、短期大学1校、大学2校、大学院1校を卒業。経営情報学士(産能大学)、造形学士(武蔵野美術大学)、教育学修士(明星大学)を取得。2013年、東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。博士(看護学)。
精神科病院で働きつつ、文筆活動、講演のほか、大学・大学院での学習支援を行う。
著書
『宮子式シンプル思考─主任看護師の役割・判断・行動1,600人の悩み解決の指針』(日総研)、『両親の送り方─死にゆく親とどうつきあうか』(さくら舎)など多数。ホームページ: