第6回 偶然知った「その後」
公開日:2019年4月26日 15時19分
更新日:2019年5月30日 10時48分
宮子あずさ(みやこ あずさ)
看護師・著述業
訪問看護であるアパートの一室にうかがった時、利用者さんが暮らす部屋の隣のドアに、見覚えのある男性の名前を見た。特徴的な名前は、同姓同名とは考えにくい。もし本人だとすれば、会ったのは以前働いていた精神科病棟。今から20年以上前の話になる。
当時50歳前後だった男性は、経営していた会社が行き詰まり、元々のうつ病が悪化して入院してきた。以前はかなり暮らし向きがよかったようだ。妻も大学生の子ども二人も、経済的な不安にいらだっており、男性にかなりきつくあたっていた。
元々酒好きだった男性は、日々酒を飲んでは仕事から遠ざかり、さらに家族に疎まれた。初めこそ面会に来ていた妻も、やがて姿を見なくなり、やがて彼は退院し、外来にも来なくなった。
その後もそのアパートに来る度気になっていたが、ある日ドアに貼られた名前がなくなっているのに気づいた。部屋に入ると利用者さんは、待ちかねたように話し始めた。
「隣のおじいさんがね、昨日部屋で亡くなっていたのよ。ヘルパーさんが見つけて、警察が来たの。なんか感じ悪い人で、話しもしなかったんだけど。かわいそうね。家族もいないみたいで、大家さんと市役所の人が片付けするんだって」。
私の知る人であれば、年齢は恐らく七十代。「おじいさん」と呼ばれる年齢であろう。やはり、と思ったが、それ以上は何も聞かず訪問を終えた。以下は亡くなった男性が、私の知る人と同一人物だった、と仮定しての話になる。
当時は生活が傾きながらも、金満家の面影を残していた家族だった。それが、最後は生活保護受給者が多く暮らすアパートに住み、亡くなって発見された。生き方、死に方の価値を決めるのは当人だから、差し出がましい評価はするまい。
しかし、20年以上前に、私が見た彼は、決してこうした人生の終わりを思い描いてはいなかったろう。あの妻は、子供たちは、彼の現状を知っていたのかいないのか。どうしてもやりきれない気持ちになってしまった。
これは偶然知った「その後」。実はこのようななりゆきの人は、他にいるのかも知れない。多くの場合、入院している患者さんとのおつきあいは短く、その人の人生のわずかな期間に過ぎない。その前にも、あとにも、その人の人生は続いている。
時期はちょうど桜の季節。今年の東京は、満開のあと気温が下がり、長く花が楽しめた。美しい花を見ながら、咲いた花は必ず散るのだな、と。少しもの悲しい気持ちになっていた。
著者
宮子 あずさ(みやこ あずさ)
看護師・著述業
1963年生まれ。1983年、明治大学文学部中退。1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業。1987~2009年、東京厚生年金病院勤務(内科、精神科、緩和ケア)。看護師長歴7年。
在職中から大学通信教育で学び、短期大学1校、大学2校、大学院1校を卒業。経営情報学士(産能大学)、造形学士(武蔵野美術大学)、教育学修士(明星大学)を取得。2013年、東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。博士(看護学)。
精神科病院で働きつつ、文筆活動、講演のほか、大学・大学院での学習支援を行う。
著書
『宮子式シンプル思考─主任看護師の役割・判断・行動1,600人の悩み解決の指針』(日総研)、『両親の送り方─死にゆく親とどうつきあうか』(さくら舎)など多数。ホームページ: