第3回 猫を通して学んだ老いと死
公開日:2018年10月19日 16時12分
更新日:2022年11月29日 13時54分
こちらの記事は下記より転載しました。
宮子あずさ(みやこ あずさ)
看護師・東京女子医科大学大学院看護職生涯発達学分野非常勤講師
長寿猫との暮らし
私は猫が好き。親元にいる頃から猫と暮らしてきた。23歳で親の家を出てからはしばらくひとりだったが、母の家でほかの猫との折り合いが悪い猫をもらい受けた。多いとき母の家には8匹の猫がいて、家を出たり入ったりしていたのである。
私のアパートに来た猫はすでに大人だった。なぜか「ミルク」と名をつけたが、体はまったく白いところのないサビ猫。しばらくして結婚したあとは、夫婦で溺愛した。
結婚したのが1990年で、ミルクは2001年まで生きた。来たとき大人だったので正確な年はわからないが、おそらく20歳は超えて生きたと思う。
かねてから夫婦で相談していたとおり、見送ってひと月くらいで子猫をもらい受けた。いわゆる動物愛護団体が保護した保護猫。あまり人気のないサビ猫を希望したので、すぐにもらうことができた。
サビ猫は女の子しか出ない、三毛猫と同じ範疇の柄。サビ猫を選んだのは、先代のミルクが賢くて丈夫だったので、よいイメージを持っていたからだ。
この猫は「ぐぅ」と名づけ、語呂のよさから今は「ぐぅ吉」と呼んでいる。小さい頃から病弱で、6歳頃から腎臓が悪くなった。7歳になる頃から家で皮下補液をしている。回数は獣医師の指示で、今は毎日になった。
短命を覚悟したが、すでに18歳を超える。猫の年齢は、「24+(猫の年齢-2年)×4」なので、人間の88歳にあたる。のんびり寝てばかりの長寿猫との暮らしは、温かく穏やかな、極上の日々。ぐぅ吉の長寿は、まさに医療の進歩のおかげと感謝している。
猫は老いを怖れない?
人間と猫の年齢計算に従えば、約2年で大人になり、以後は4歳ずつ年を取るのが、猫の加齢である。3か月で人間の1年分を生きるわけで、加齢の速度は非常に速い。先代のミルクを見送り、子猫のぐぅ吉をもらい受けて18年。ぐぅ吉は着実に老いてきた。
周囲の家具に足をかけ、高い棚の上に飛び乗っていたのは5年ほど前までだろうか。人見知りの強いぐぅ吉は来客が大嫌い。客の気配がすると棚の上で身をひそめ、決して降りてこなかった。
しかし、あるとき足を踏み外して飛び乗りに失敗してから、棚に興味を示さなくなった。以後は低い位置にお気に入りの場所を見つけ、身を隠したいときには布団にもぐる。それで気が済んでいるようだ。
棚に上がれなくなったことを、ぐぅ吉はどう感じているのか、知りたいと思う。「身を隠せなくなった不安」はないのだろうか。あるいは、「高いところに乗れなくなったことへの無念」はどうだろう。
ついつい人間の気持ちに照らして考えるのだが、ぐぅ吉に、過去を振り返って嘆く思考回路はないようにみえる。体が緩んだとか、毛並みが悪くなったとか、歯が抜けてものが噛みにくいとか......。猫は決して考えないだろう。
決して無理せず、できることをしていく。そのひょうひょうとした姿も、猫の魅力。人間は、知恵がある分、失ったものを思い、嘆かねばならない。これはこれで人の定めではあるのだが、嘆いたところで何かが戻るわけではない。
以前お話をうかがった著名な獣医さんは、「猫には老いや死への恐怖はないでしょう」と言いきっていた。すでに苦労のない国にいるミルクの最期や、ぐぅ吉の老い方を思うとき、この言葉は確からしく聞こえるのだ。
猫を通した老いと死のレッスン
猫の医療がいくら進歩しても、人間に比べれば取れる手立てに限界がある。ミルクも年を重ねて腎不全になり、死ぬ前にはまったく食べられなくなってしまった。
どんどん衰えていく姿を見て、悲しみに暮れる私に、なじみの獣医さんはこのような声をかけてくれた。「こんなに腎臓が悪くなるまで、長く生きてきたんですよ」
この言葉は、私にとって、まさに発想の転換を促す言葉となった。長く生きたからこそ、出てくるさまざまな不具合。それは、それだけ長く生きた証左でもあるはずだ。
私は安心を求める患者さんから、何を言っても満足してもらえないとき、「魔法の言葉はないのにな」と思う。しかし、獣医さんのこの言葉は、私にとってまさしく、気持ちをぐっと楽にする「魔法の言葉」であった。
先日、七回忌を終えた亡き母は、持病の膠原病と肺気腫を患いながら、大腸がんと白血病にも見舞われた。2つのがんをしのいだものの、最終的には元からの持病で亡くなった。
80歳を迎えて急速に弱っていく母を見ながら、「こんなに衰えるまで長く生きてくれたのだなあ」と思った。生き切ったと見える母の死に、私は悲しみと同時に満足感を抱いていた。
親のものと思っていた老いは、もはや自分の問題になった。55歳になった私にしても、刻一刻と老いており、かつ、いつどのように病むかはまったくわからないのである。
この不確定な未来を自分が果たしてちゃんと生きていけるのか、不安になることもある。そんなとき、猫たちの老いや死が、私に教えてくれたものの大きさを思う。
「動物は死ぬから飼いたくない」という人もいて、気持ちはよくわかる。だが、短い生を持つ動物だからこそ、老いて死ぬことの全体像が見える。その体験は、想像以上に意味深い。
著者
宮子 あずさ(みやこ あずさ)
看護師・東京女子医科大学大学院看護職生涯発達学分野非常勤講師
1963年生まれ。1983年、明治大学文学部中退。1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業。1987〜2009年、東京厚生年金病院勤務(内科、精神科、緩和ケア)。看護師長歴7年。
在職中から大学通信教育で学び、短期大学1校、大学2校、大学院1校を卒業。経営情報学士(産能大学)、造形学士(武蔵野美術大学)、教育学修士(明星大学)を取得。2013年、東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。博士(看護学)。
井之頭病院訪問看護室(精神科病院)で働きつつ、文筆活動、講演のほか、大学・大学院での学習支援を行う。
著書
『宮子式シンプル思考─主任看護師の役割・判断・行動1,600 人の悩み解決の指針』(日総研)、『両親の送り方─死にゆく親とどうつきあうか』(さくら舎)など多数。ホームページ:
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