看取り
公開日:2016年7月25日 03時00分
更新日:2019年2月 1日 18時10分
看取りとは
看取りとはもともとは、「病人のそばにいて世話をする」、「死期まで見守る」、「看病する」という、患者を介護する行為そのものを表す言葉でしたが、最近では人生の最期(臨死期)における看取りを持って、単に「看取り」と言い表すことが多くなっています。このため、看取りは緩和ケア、終末期ケアやエンゼルケアと密接な関係にあります。
緩和ケア、終末期ケアと看取り
緩和ケア、終末期ケアは、近い将来に亡くなられることが予見される方に対し、患者本人の意向を尊重する事を前提に、身体的、精神的、社会的、霊的苦痛(スピリチュアル・ペイン)をできるだけ緩和し、その人なりの充実した最期を迎えられるような介護・援助をする事を指します。緩和ケアと終末期ケアでは、ケアの対象疾患や対象となる病気の時期など、多少の違いはありますが、理念そのものはほぼ同じです。
看取りとエンゼルケア
一方、古来、日本では、亡くなられた方に対し「湯灌(ゆかん)」というお清めの葬送儀式が行われてきました。病院などで死を迎える人が多くなるにつれて、病院では綿詰めや清拭などを基本とした処置を行い、体を湯水へ入れ洗浄し、化粧や着替えを行う湯灌は帰宅後に業者により行われる事が多くなりました。しかし、近年になり前述の緩和ケア、終末期ケアの考え方が広がっていく中で、「エンゼルケア」と言う言葉が生まれました。エンゼルケアとは、死後の処置として従来から行われてきた処置だけでなく、死に立ち会う専門職という立場で、患者さんの死の直後から、ご家族への精神的ケアを含めてのできうる限りの援助を行い、さらに、その過程を通じて、援助する専門職自身の成長の糧としていくという、より広い意味で用いられることが多くなっています。
看取りと延命治療、平穏死など
看取りは、また延命治療との関係で取り上げられることも多くなっています。また、「死」を一つの切り口として、いずれも「延命治療」とは対極に位置づけられる、尊厳死、自然死、平穏死、満足死など多くの言葉が生まれています。欧米先進国の医療倫理・生命倫理の考え方が、国内で広まるにつれ、病気に対して主治医が全て判断をし、治療を行うというオーソドックスな形ではなく、治療の開始、不開始などの決定に際し、患者本人または家族の意向を最大限尊重することがより重視されるようになりました。このため、人を見ずに、病気だけを診て治療をする形で、延命治療が行われることについては、許容できない人が増えてきました。このような中で生まれてきたのが、前述の自然死、平穏死などの考え方です。介護者の立場から見ると、それぞれは「自然な看取り」、「平穏に看取る」などと言い換えることができます。
看取りと胃ろう
最近になり、認知症の人が増えるにつれ、認知症の末期の一つの症状として、食べ物を飲み込む力が低下し、肺炎を起こしやすくなる人が増えてきました。これまでは、胃ろうに代表される、経管栄養などの人工栄養が、積極的に行われてきました。しかしながら、人工栄養を受けている人の中には、身体機能、知的機能が徐々に低下し、寝たきりとなり、家族の顔も判別ができない状態となる人も次第に増えてきました。このような状況を見て、栄養を強制的に注入し続けることは、人としての尊厳を失わせているのではないかと、疑問を呈する人が増えてきました。このため、特に自分で判断が難しい、認知症など高齢者の人工栄養をどのように進めるべきかが、大きな社会的問題となっています。言い換えますと、今、「口から食べること」の意味がより問われているといえます。