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幸福度日本一をめざすキラリと輝く"新しき村"(宮崎県児湯郡西米良村(こゆぐんにしめらそん))

公開日:2020年11月27日 09時00分
更新日:2020年11月27日 09時00分

写真:日本一の木造車橋であるかりこぼうず大橋の写真。米良三山をイメージし宮崎スギの山形が3連並ぶ様子を表す。
かりこぼうず大橋。米良三山をイメージして、宮崎スギの山形が3連並ぶ。日本一の世界最大級の木造車道橋。9月下旬、赤い彼岸花が咲いていた

豊かな自然に恵まれながらも"限界集落"から「廃村」の危機へ

 宮崎県の山間へき地にキラリと輝く村がある。宮崎県の中央西端にある西米良村(にしめらそん)は、総人口が1,190人(2017年9月1日現在)と、宮崎県内では最も少ない自治体である(図1)。ここ30年間で人口は40%近くも減少して、まさに"限界集落"の危機を迎えていた。

図1:西米良村の位置図。宮崎県中央西端で熊本県に接する場所に位置する様子を表す図。
図1:西米良村は宮崎県中央西端で熊本県に接する

 宮崎市から古墳群で知られる西都市の平地を抜けると、急峻な山々の間をぬうように一ツ瀬川が流れ、それに沿って国道219号を車で走ること約2時間、ようやく西米良村に入った。

 人口減少は日本全体の傾向でもあるが、特に山間へき地の減少速度は速く、高齢化の波も加わってどこの地域でも深刻な問題となっている。

 ここ西米良村は面積の96%が森林の山間地域で、北に1,000メートル級の米良三山(市房山・石堂山・天包山)を臨み、中央を流れる一ツ瀬川は急流、清流、ダム湖と表情を変える。

 木炭生産の日本一を誇っていた昭和初期(1943~44年頃)には人口約8,000人を数えていたが、1963年のダム建設完成に伴い、一部の集落が水没して人口は激減。その後も減少傾向は止まらず、1994年の将来人口予測では2010年には人口748人になると推計されて、村に衝撃が走った。このままでは「廃村」を免れない現実が目の前に現れた。

市町村合併の流れの中村びとは「自立の道」を選択

 「平成の大合併」といわれた2003年には近隣の自治体が合併に向けた「一ツ瀬川流域任意合併協議会」が発足した。ところが「合併意向アンケート」を村が村びとに実施したところ、「合併しない方がよい」が約8割に達した。これを受けて村は自立の道を歩む覚悟を決めた。

 「自分たちの地域は自分たちで守る」「自分たちも地域振興のために何かしたい」という村びとの強い気持ちが芽吹き始め、市町村合併はせず、自立の道を選び、"キラリと輝く村"づくりをめざした。

 すでに1998年から本格スタートしていた「西米良型ワーキングホリデー制度」があった。「西米良型」というのは、ワーキングホリデーは海外の制度で、それを日本で初めて導入したからだ。都会の人が休暇を利用してユズの収穫やカラーピーマンの選別など農家の簡単な手伝いをし、もらった給料で西米良村に滞在するというもの。たとえば1週間の滞在の場合、3日を農作業にあてて、残りを村の滞在をゆったりと満喫する。したがって現金は村外に逃げず村内で循環するという仕組みだ。

 これを1つのきっかけに、この2年間に79人の移住者を数えた。内訳はUターンが30人、Iターンが49人、つまり村出身者ではない人の移住の方が多い。

 牧幸洋・西米良村むら創生課課長は「ワーキングホリデーの参加者は定年退職した高齢者と当初予想していましたが、実際は20、30歳代の若い女性が多かった」と、うれしい予想外に顔をほころばせた(写真1)。

写真1:西米良村むら創生課課長の牧幸洋さんと西米良診療所事務長の渡邉智紀さんの写真。
写真1:牧 幸洋・西米良村むら創生課課長(左)と渡邉智紀・西米良診療所事務長

 こうしたこともあって村内にいる女性だけで村が独自に算出した合計特殊出生率は、2006年から10年間の平均でも2.225と全国平均の1.45を大きく上回った。

「平成の桃源郷」をめざして観光と産業の振興

 豊かな自然、風土、歴史、そして文化の地域特性を活かし、これらを磨き上げることによって「平成の桃源郷」をめざした元気で活力ある村づくりに取り組んだ。

 村全体の高齢化率は43%だが、8地区の1つ小川地区では高齢化率が72%に達する。そこでこの地域の生き残りをかけて2009年に公設民営の交流拠点「おがわ作小屋村」をオープンした(写真2)。集落内の食材を中心に小鉢16枚に盛りつけた「おがわ四季御膳」(写真3)をはじめとする食堂・物産販売所などの運営が評価され、2013年に地域活性化事例を表彰する国土交通省の「地域づくり表彰」最高賞を小川作小屋村運営協議会が受賞した。

写真2:おがわ作小屋村の民俗資料館と米良領主像の様子を表す写真。
写真2:米良領主像が見つめるおがわ作小屋村の民俗資料館
写真3:食堂のメニューにある集落内の食材を中心に小鉢16枚に盛り付けた「おがわ四季御膳」の様子を表す写真。
写真3:わらび・芋がら・筍煮しめ、おから天、鹿甘酢和えなど16の小鉢が並ぶ「おがわ四季御膳」。これに白飯とだご汁がつく

 この協議会は村民による任意団体で、「自立・自走の集落運営をめざす」新たな山村集落のモデル形成を目的に2009年2月に発足した。現在、地域住民を中心に役員5名、会員20名が活動を行っている。西米良村では2015年に各部署の所轄をまとめた「むら創生課」を発足させ、各集落の活性化のほか、移住者の受け入れ、観光の促進、商工業の振興などを進めている(図2)。

図2:西米良村の未来づくりの構想を表す図。
図2:西米良村の未来づくり

 小川作小屋村運営協議会の事務局長の上米良(かんめら)省吾さん(32)は「ともかくこの村は高齢者と女性が元気です。観光客が『ここはいいところですね』と村びとにいうため、村びとは自信を持ち元気になっています」と、はずむ声で目を輝かせた(写真4)。

写真4:小川作小屋村運営協議会事務局長の上米良省吾さんの写真。
写真4:上米良省吾・小川作小屋村運営協議会事務局長

 宿泊料は1泊2食付きで4,400円プラス税という安さだが、年間2万~2万5,000人が訪れて黒字を続けている。

 ここ小川地区は旧米良領主城址で、江戸時代から明治維新までの約200年間、米良の中心地として栄えた。米良山中の石工らが築いたといわれる石垣が周囲を囲み、領主の居城を模した民俗資料館、茅葺きの屋根の民話館、桃源郷の宿などが並ぶ。

 第17代米良領主・菊池則忠公は、版籍奉還の際、東西米良村、三財村寒川(現・西都市)などの領内の山林を全村民に分け与えたことから、終生「米良の殿様」と村民に敬愛された。

 また、米良山で古くから伝わる神楽は、国の重要無形民俗文化財の指定をめざしている。南北朝時代に米良山に落ち延びたと伝わる南朝の懐良(かねなが)親王に追従した都の舞人が伝えた舞が起源と伝えられている。狩猟の様子を演じる「ししとぎり」の演目が舞の中に入っているのはめずらしい。これは「狩法神事」といって、山入りから捕獲までの過程を演じ、狩りの暮らしに感謝する舞。

 菊池家は、ここ西米良村だけでなく、熊本県菊池市、岩手県遠野市にも流れたことから、西米良村はそれぞれ姉妹都市、友好都市の関係を結んでいる。

 「カリコボーズの山菜まつり」など地域資源を活かしたイベントの実施や、おがわ花見山づくりなど地域景観づくり活動なども行っている。

 「カリコボーズ」というのは、米良地方に伝わる精霊のこと。春の彼岸にから夏にかけて川に下り「水の神」に、秋の彼岸から冬にかけては山に登り「山の神」になるといわれている。

 少々のいたずらはするが、悪さはしない。村の各地域にはいろいろな逸話が残り、村の語り部によって語り継がれている。地元では、山の仕事をするとき、塩や米、焼酎を供えて「山仕事が安全に」と山の神様に祈る習慣がある。これを怠ると、「カリコボーズ」が夜中に家をガタガタと揺すり驚かせると伝えられている。

 今は「カリコボーズ」は村のイメージキャラクター「ホイホイ君」として親しまれている。

観光客を呼び移住者を招く村民の驚異的意識の高さ

 1999年に第三センターで運営する温泉施設「ゆたーと」がオープンして観光客は大幅に増えた。2013年には「西米良川床(かわどこ)」をオープンし、昨年は2,000人近くが訪れた。

 四季折々のイベントを打ち出して観光客を呼び寄せている。スポーツイベント、トレイルランニング、菊池家に伝わる名刀展の開催など実に多彩な催しがあって、観光客は年間約14万人まで増加した。

 一方、2016年7月の参議院選挙では、西米良村の投票率は91.13%(有権者1,037人、投票者945人)だった。全国平均54.70%(選挙区)、トップの長野県が62.86%だから、この数字は驚異的だ。

 「どうしてこんなに投票率が高いのですか」と尋ねると、牧・むら創生課課長は「もともと参政意識が高いことに加え、その選挙から新たに加わった村外に暮らす20歳以下の有権者にも投票の呼びかけをていねいに行ったことも功を奏したのではないでしょうか」と説明する。

 これは納税意識の高さにも表れる。各種税や介護・医療保険の連続完納は2016年現在で、最も長い板谷地区が59年、最も短いのは村の中心の村所地区で24年という。

 また、1996年から続く村の運動会「メラリンピック」には村民の半数以上にあたる約630人が参加して大いに盛り上がる。西米良中学校のグランドに小中学生の競技の合間に中高年の村民の種目がはさまれて、児童・生徒が親や祖父・祖母に声援を送るという。

 ダム湖のほとりにある「湖の駅」や一ツ瀬川にかかる日本一の木造車道橋「かりこぼうず大橋」脇の「川の駅『百菜屋』」には食堂と地元でとれた野菜やお土産が並ぶ。「百菜」は「百歳」にかけた名称で、実際、高齢者がこづかい程度の給料で店番を楽しんでいる。特に「伝統野菜」米良糸巻(いとまき)大根が人気だ。アントシアニンという色素が多く、抗酸化作用が高いという。かつて焼き畑農業の頃はイセイモ、小豆とともに輪作されていた。その他、ユズ、カラーピーマン、ほおずき、シイタケなどが並ぶ。

 さらに、「平成の江戸見物事業」というのもユニークだ。これは75歳以上の高齢者を対象に東京方面の見物ツアーを行うもの。事業費は約900万円かかるが、これは村の高齢者が後世を思って育んできた村所有の山林の木材売却益をあてる「村の高齢者への恩返し」だ。

地域包括ケアシステムをめざす村に唯一の国保診療所が拠点

 村には唯一の医療機関である国民健康保険西米良診療所(19床)が村民全員の健康を支える「かかりつけ医」になっている。宮崎市出身の片山陽平所長は、2007年自治医大を卒後、9年の義務年限を過ぎても「やっぱり地域で働く方が楽しい」と西米良村に残った。宮崎県から派遣された医師とともに常勤医2人態勢になった。

 しかし、「今年も看護師の応募がありませんでした」と渡邉智紀・西米良診療所事務長(写真1)は運営の厳しさをもらす。

 村には特別養護老人ホーム「天包荘」(30床)が1つだけあり、ここがデイサービスも行っている。黒木定藏・西米良村長は「医療・介護・福祉・保健がしっかりと連携し、村民皆さんが笑顔で暮らしていける『西米良村型地域包括ケアシステム』を構築していくことで、日本一幸福度の高い村になれると信じている」と語る。

 2016年には全国に先駆けて遠隔医療の実証実験を開始した。日南市の実証実験についで同年12月からタブレット端末で健康相談を行うというものだ。まだ実験段階であり、現在は各戸に配置されたテレビ電話が広域の村を支えている(写真5)。

写真5:西米良村全村民宅に置かれるテレビ電話の様子を表す写真。
写真5:全村民宅に置かれるテレビ電話

 人口減少の傾向は相変わらず続いているものの、その減少スピードは緩やかになり、10年近く先延ばしになった。高齢化率もあと3年は40%台で推移するが、徐々にその割合は低下に転じ、2035年には20%台まで若返りするとの予測もある。

 全国の自治体を先取りした西米良村の"新しき村"づくりに全国の自治体からの視察者も多い。

(2018年1月発行エイジングアンドヘルスNo.84より転載)

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