行政と研究機関の連携で介護予防に特化した体操を開発(福島県喜多方市)
公開日:2018年12月14日 13時46分
更新日:2019年8月 7日 10時12分
ねんりんピックをきっかけに「太極拳のまち」宣言を
2000年に介護保険制度が誕生してから、全国の各自治体で介護予防事業が数多く実施されてきた。特に虚弱高齢者を対象とした運動機能向上を目的とする取り組みは多くなされている。福島県喜多方市でも虚弱高齢者を対象とした運動プログラムを行っている。太極拳を盛り込んだ「太極拳ゆったり体操」はユニークかつ効果的であることから、2007年に介護予防プログラムの開発および効果検証、指導員制度確立等事業についての功績が認められ、保健事業推進功労厚生労働大臣表彰を受賞している。
同市は、2006年1月に旧喜多方市を含む、熱塩加納、塩川、山都、高郷の5つの市町村の合併により誕生。東、北、西の3方向は、飯豊連峰や雄国山麓などの山々に囲まれており、その森林面積は市内の約7割を占める。また、その山々を源に阿賀川をはじめとする大小さまざま河川が貫流するなど、豊かな自然を有している。そんな喜多方市も近隣の市町村と同様、人口の高齢化率(65歳以上の人口が総人口に占める割合)は32.7%、これは福島県(27.2%)と全国平均(25.4%)を上回る数値である(各数値はいずれも2014年2月1日時点)。今後も増え続ける高齢者の健康増進をどのように支援するかは喜多方市のかねてからの課題であった。
旧喜多方市が「太極拳のまち」を宣言したきっかけは2002年にさかのぼる。同年10月に「うつくしまねんりんピック2002 太極拳交流大会」が同市で開催され、それを契機にまちに太極拳が浸透していった。「大会の開催に合わせて行政では太極拳の普及活動を行いました。当時は参加者を歓迎することを目的としていましたが、その活動を通じて太極拳を始めた市民の方も多く、大会終了後も太極拳を通じた交流の輪が広がったのです。そうした背景もあり、旧喜多方市は2003年3月、全国でも初となる『太極拳のまち』を宣言し、本格的なまちづくりをスタートさせたのです」と、喜多方市市民部高齢福祉課長・赤枝幸浩氏は経緯を話す(写真1)。
その後も市内の愛好家たちが中心となり活動を続け、その輪はさらに広がった。市町村合併後の6月に同市は改めて「太極拳のまち」を宣言している。
太極拳のエッセンスを取り入れ介護予防に特化した「太極拳ゆったり体操」
旧喜多方市時代から広まった太極拳。この中国発祥の武術は、現代では健康法として世界各地で実践されている。喜多方市はその高い健康増進効果に着目し、2005年頃に会津保健福祉事務所を通じて、介護予防、転倒予防、閉じこもりなどを専門に研究している福島県立医科大学医学部公衆衛生学講座の安村誠司教授に協力を仰いだ。当時、既に科学論文で太極拳が高齢者の転倒予防に効果があるという研究結果が報告されており、そのよさを取り入れた体操を考案する意義があるという安村教授のアドバイスを受け、市は太極拳のエッセンスを取り入れた介護予防に特化した体操をつくることを決定。
「太極拳が健康によいということは既に多くの人が知っていましたが、どれだけ高齢者の介護予防に効果があるかについては明らかになっていませんでした。ですが、太極拳は武術ですから中には立位保持できない方には実施するのが困難な動作が含まれています。したがって、高齢者に『さぁ、やってみてください』というわけにはいきません。そこで、高齢者でもできるような安全面に配慮し、かつ介護予防に効果的な体操づくりをめざしたのです」と、安村教授は話す。
そうした経緯を経て、喜多方市、会津保健福祉事務所、福島県立医科大学医学部公衆衛生学講座の3者共同による太極拳をベースとした高齢者の介護予防体操づくりがスタート。段階的に検証を進め、体操のプログラムに改良を加え、2007年に完成したのが太極拳ゆったり体操である(写真2)。
「太極拳ゆったり体操が完成するまでに安村教授をはじめ、研究者の方々が虚弱高齢者を対象とした検証を継続して行い、その効果を見ながら、体操の改良・指導法の改善を加えました。そのため、できあがった体操は介護予防や介護リハビリに用いることができ、身体状況や健康状態に合わせて行えるものとなりました。受講者から『歩くのに杖がいらなくなった』『できなかった家事ができるようになった』『階段の上り下りが楽になった』など日常生活に密着した感想が多数寄せられ、生活の質の向上にも効果的であると感じています」。そう話すのは喜多方市市民部高齢福祉課主任主査兼介護予防係長・佐藤美枝氏(写真1)。
佐藤氏が話すように、安村教授らによる太極拳ゆったり体操の効果検証の結果、1.バランス機能の向上、2.下肢筋力を中心とした全身の筋力アップの2点において効果があることが示された。
また、同体操は、座位20、立位20の計40の動作により構成されている(写真3-1、3-2)。そのため、座って行うことも、立って行うこともでき、自分の体力に合わせて行うことができる。20の動作中12の動作は「入門編」でウォーミングアップ的な動作となっており、ゆっくりと体を動かしながら内部の筋肉に働きかけ、表面の筋肉などをストレッチする。残りの8つの動作は「ステップアップ編」で入門編よりも太極拳の要素が多く盛り込まれている。
このように、本人の体調、身体機能に合わせてプログラムが組める点も特長であり、参加者に喜ばれる一因だという。「もう5年続けて来ていますが、体力がついて、毎回元気をもらえるのがいい。ゆったりとしたこの体操は寒いときには身体が温まってすごくいい」と参加者の男性が話すように、参加者は自身のコンディションに合わせて体操を行うことができる。
地域ボランティアの力を生かす指導員の3層構造
「介護予防に特化した体操をつくるだけでは広まりません。それを広く普及させるには仕組みづくりが必要です。特に地域で高齢者ケアを広く認知してもらうには、積極的に地域住民のボランティアを巻き込んだ取り組みが欠かせません」と、安村教授は話す。市は安村教授のアドバイスを受けながら、指導員の養成に関する制度構築を進めた。専門性の高さによって、リーダー、サブリーダー、サポーターを分ける3層構造を採用(図)。
サポーターから始まり、階層が上がるにしたがって要求される専門性や技術が異なるため、自然と役割分担ができる仕組みとなっている。まず、年に1度開かれる「サポーター講習会」を受講し、そこで基本的な知識と動きを習得することでサポーターに認定される。その後は定期的に市の主催で行われる認定試験を受験することでサブリーダー、リーダーとステップアップを重ね、市が主催する教室や、市が指導員派遣の要請を受けた地域で指導員として活動を行う。
「この3層のピラミッド型構造はチームとしての機能を高めるだけではなく、指導員の質の担保や指導員のモチベーションの向上にもつながっているのです」。そう話すのは指導員(リーダー)の佐々木洋子氏(写真1)。佐々木氏は太極拳ゆったり体操づくりの初期段階から関わっている。「単に体操ができれば指導員になれるというものではありません。参加者のほとんどが足腰の弱くなった高齢者ですから、安全面に考慮しながら指導することが求められます。体操中の見守り・声かけはもちろんのこと、休憩時間にも参加者へ目を配ることも役割の1つです。そうしたことを太極拳ゆったり体操指導員会でも繰り返し確認し、どの指導員も効果的にかつ安全に体操の指導をすることができるようにしています」(佐々木氏)。
段階的にレベルを上げることができるこの指導員養成制度は指導員らのモチベーション向上にも一役買っている。指導員は30人(平均年齢66.8歳)。そのうちリーダーは13人、サブリーダーは17人、サポーターは約500人にも上る(平成26年2月現在)。その多くは太極拳の愛好家である。「もともと太極拳を趣味でやっていたのですが、一人でやるよりも皆さんでやったほうが楽しいです。それに多くの人に喜んでもらえるからやりがいもあります」と女性指導員は話す。「足腰が弱くなった方でも安全にできることから、県内外から指導の依頼をいただき、市外で指導する機会も多くなっています。一人でも多くの方の介護予防のお役に立てるよう、私たちも日々勉強しなければと思っています」(佐々木氏)。
"縦"の強みを最大限生かすため"横"への広がりを推し進める
その後も喜多方市は体操の普及を図るため、さまざまな取り組みを行った。
その1つが「太極拳ゆったり体操エリアパートナー」制度の発足である(図)。介護予防の一環として、広くこの体操の普及を図るため、2010年にエリアパートナー制度を設け、喜多方市以外の各地域の体操指導員を支援することになった。
太極拳ゆったり体操サポーターステップアップ講習会を修了した喜多方市外の愛好者で、それぞれの地区で太極拳ゆったり体操を指導する人は「エリアパートナー」として登録(平成26年2月時点で登録者数は20人)。その後はエリアパートナーが指導する教室をホームページ等で周知し、教室の進め方に関する疑問や、指導法についての質問などについても答えていくなどの、バックアップ体制を敷いている。
また、2010年には「太極拳ゆったり体操地区支援事業」をスタートさせた。これは移動手段がなくて教室に通うことができない高齢者に近場で体操を継続し、運動を習慣にしてもらうことを目的とした取り組み。希望地区に対して指導員を派遣する支援を行い、教室を継続できるシステムをつくり、支援地区を増やすとともに、地区の自主活動化を促している。
教室へは太極拳ゆったり体操指導委員会のボランティアを派遣し、その地区の要望に合わせて体操教室を実施、継続している。現在では、ボランティア24名が登録し(うち21名が60歳以上)、6地区を支援。毎回ボランティアチームの2人で1時間にわたる体操教室を実施し、高齢者の運動の習慣化を促している。そうしたボランティアチームにおいてもピラミッド構造は有効だと安村教授はいう。「ピラミッド構造のシステムは地域ボランティアの力を最大限に生かす仕組みです。人材育成には時間と手間がかかりますから、専門性の高い人を数多く用意するのはとても大変です。専門性の高い人を頂点としたピラミッド構造を採用することで、ボランティアの人たちの役割を明確にし、チームとしての機能を高めるなどさまざまな効果が期待できます」。
赤枝氏は「この事業により、高齢者の運動の習慣化を促すことができ、多くの参加者から『身体の痛みの軽減や体調のよさを実感している』などの感想をいただいています。安村先生のアドバイスによりつくり上げたピラミッド構造の"縦"の強みを最大限生かせるよう、われわれは"横"への広がりをさらに推し進めたいと考えています」と、今後の展望について話す。
体操を通じた生きがい創出安全面を考慮しさらなる普及をめざす
体操後には参加者で企画した勉強会や食事会なども開催され、参加者同士が誘い合いながら参加することで、参加・継続しやすい環境づくりができ、地区高齢者の生きがいづくりの場ともなっている。また、地区の高齢者が定期的に一堂に会することで、お互いの安否確認ができるなど、期待した以上の効果を上げることができている。「参加者と年齢が比較的近い方が指導しているため、気安い関係が築きやすくなっていると思います。地区支援教室と同じように、市が主催する定例教室でも参加者が体操の質問や体調の変化などの報告もしやすいようで、休憩時間中や体操後には活発なコミュニケーションが図られています」と佐藤氏は話す。
市が主催する定例教室は年間40回で、1回当たりの参加者数は平均で44名ほど。体操の効果検証から現在までの数年間で全国的に知られるようになった太極拳ゆったり体操。活動規模がこれまで順調に拡大していった理由について赤枝氏は「研究機関によって体操の効果がしっかり検証されたことが大きいです。参加者だけでなく、体操を推奨するわれわれにとっても効果が数値として表れていることが頼もしいですし、自信を持って取り組むことができます」と話す。
安村教授も「太極拳ゆったり体操」の利点の1つとして効果検証がなされた点を挙げた。「東京都の『荒川ころばん体操』など効果検証を行っている体操もありますが、そう多くはありません」と話し、ご当地体操を介護予防プログラムに組み入れるならばしっかりと効果を担保することが重要だとした。安村教授はその解決策して、研究機関を巻き込んだ取り組みの有効性に触れた。「行政と研究機関のよいところを出し合うことでよりよい効果が生まれます。その結果として、高齢者ケアが促進していくのです。喜多方市とわれわれは相乗効果を生み出すことができ、今日に至っています。『太極拳ゆったり体操』だけでなく、全国各地から多くの介護予防に効果的なご当地体操が生まれることを期待しています」。
昨今、経済・社会が高度化・グローバル化する中、地域の発展を図る上で、「知の拠点」としての大学による地域貢献に大きな期待が寄せられており、文部科学省もそれを推奨している。喜多方市と福島県立医科大学医学部公衆衛生学講座の連携は、行政が抱える課題に対して、大学(研究機関)が持つ知の成果を還元することで課題解決および社会貢献につながることを示す好例である。今後も行政と研究機関のよいところを出し合っている喜多方市の取り組みに目が離せない。
(2014年7月発行エイジングアンドヘルスNo.70より転載)
転載元
公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health No.70