東日本大震災から5年 被災者の今に寄り添う復興への取り組み 釜石市平田(へいた)第6仮設団地(岩手県釜石市)
公開日:2019年11月13日 13時39分
更新日:2019年11月21日 13時28分
コミュニティケア型仮設住宅団地で「まち」の復興
2011年3月11日の東日本大震災から今年で丸5年が経つ。震災の津波では、東北地方の太平洋沿岸の多くの人が自宅を失い、現在も仮設住宅を離れることができない人たちが大勢いる。今回は岩手県釜石市平田(へいた)第6仮設団地を訪れて、住民の今をレポートする。
本誌74号(2015年夏号)の特集「これからの高齢者の住まい」で東京大学大学院工学系研究科建築学専攻の大月敏雄教授に釜石市平田第6仮設団地を紹介いただいた。この仮設団地は、東京大学高齢社会総合研究機構と岩手県がプロデュースし、東京大学大学院建築科と岩手県立大学福祉学部が配置設計を担当した仮設団地である。
阪神淡路大震災では長引く仮設住宅の生活で250名を超える孤独死が発生し、東日本大震災でもそれが懸念されていた。「一般的な仮設住宅は"住まい"の要素だけを重視する傾向がある。しかし被災者は家も家族も仕事もなくしたのだから、"家の復興"だけではなく、"まちの復興"そして"ケアの復興"が必要だ」と大月教授。そこで提案されたのが、「コミュニティケア型仮設住宅団地」(図)である。仮設住宅団地の中に、「まち」の機能と「医・職(食)・住」(医療と職業と住まい)を実現させるというもの。
「医・職(食)・住」の「医」を支えているのは、仮設団地の中心に設置された「サポートセンター」。これは入居者の孤立や要介護の悪化を防ぎ、高齢者が気軽に訪れることができる居場所として、厚生労働省が被災地に設置を促進しているもので、設置費用は国の負担となっている。サポートセンターでは24時間365日体制で住民の見守りを行い、併設の診療所では週3日の診療を行っている。
「職(食)」の部分では、被災した事業者向けに店舗を設置して仮設の商店街をつくり、住民の生活を支えている。
「住」を見てみると、高齢者やケアの必要な人向けの「ケアゾーン」、子育て世帯向けの「子育てゾーン」、一般世帯向けの「一般ゾーン」と3つのゾーンに分けられている。ケアゾーンと一般ゾーンの住宅は玄関を向かい合わせに配置。向かいの住人と自然に顔を合わせることができ、緩やかな見守りができるようになっている。
ケアゾーンの玄関前にはウッドデッキ(写真1)を張り、これをサポートセンターや店舗までつなげてバリアフリーを実現。ケアゾーンのウッドデッキには屋根が架けられており、雨の日には洗濯物を干し、暖かい日には住民たちの「お茶っこ」(お茶飲み)の姿が見られる。
第6仮設団地は、国交省や厚労省の仮設住宅の整備ガイドラインでモデル的取り組みとして紹介されている。また、この汎用性の高い見守りとケアの工夫は、少子高齢社会にも対応するとして注目を集めている。
住民はみな自治会会員地域を超えて人々がつながる
今回、仮設団地内を案内してくれたのは、第6仮設団地自治会長の森谷勲さんと副会長の佐々木新治さん(写真2)。
第6仮設団地ができたのは2011年8月。当時はほぼ満室だったが、現在は7割の入居率で、180世帯ほどが入居している。子どもがいる世帯はおよそ20世帯、残りの160世帯は高齢世帯が多い。「若い人は再建力があるので早い時期に仮設団地を離れる人が多く、高齢世帯が残るという傾向があります。もともと釜石市は高齢化率が35%ほどと高く、仮設団地ではさらに高くなっているでしょう」と森谷さん。
2年ほど前までは、大きな仮設店舗でスーパーマーケットが営業していた。津波被害にあった事業者だが、今は被災前の場所に戻り営業を続けている。小規模な店舗は20店あり、現在は8店が営業。電気屋、食堂、理美容室などが商店街をつくっている(写真3)。その他の店舗はNPO法人や支援団体、建設会社の事務所などに利用されている。
団地内にはバスロータリーが設置されており、路線バスが団地の中まで入ってくる。この仮設団地は市街地から遠く、買い物や通院に路線バスを利用する人が多いため、住民の意見をまとめて市に要望を出し、バスロータリーを誘致した。ケアゾーンからバスロータリーまでウッドデッキでつながり、高齢者にも優しい構造になっている。バスの待合室を店舗の中に設けたのも好評だ。雨風に当たることなくバスを待つことができ、バスを待ちながら住民同士の会話も生まれている。
団地内のグランドの一角には、自治会の拠点となっている「みんなの家」(写真4)がある。これは建築家の山本理顕さんの設計で、建築家5名による「帰心の会」が寄付を募り寄贈された建物。「ここは主に高齢者が集う場です。いつでも気軽に立ち寄れるように自治会メンバー2人が常駐しています。昼はお茶を飲みながらおしゃべり、夜は囲炉里(いろり)を囲んでアルコールで乾杯もできます」(佐々木さん)。
この仮設団地には釜石市以外にも岩手県沿岸の100kmを超える地域の住民が入居している。「文化も違えば、言葉遣いも料理の味付けも違う。住民をまとめるには工夫が必要で、ここでは自治会費を取っていません。会費を取るとどうしても自治会に入らない人が出てくる。そういう理由で自治会をつくれないか、解散する自治会が多くあります。ここでは会費が不要で、住民はみんな自治会の会員です」(森谷さん)。
向かい合わせ玄関で顔見知りになりやすいという構造上のメリットに加えて、「住民はみな自治会会員」としたことが、地域を超えた人々のつながりを後押ししている。
住民の未来を見据えたサポートを
住民の健康と生活を支えているのが、仮設団地の中心にある「サポートセンター」。業務は民間事業者の(株)ジャパンケアサービスに委託されている。サポートセンターのスタッフは25名。そのうち仮設団地専門のスタッフは10名。ほとんどが看護師やケアマネジャー、介護福祉士などの有資格者だ。「スタッフ全員は地元から採用しました。仮設住宅から通っている職員も何名かいます。被災者の気持ちを一番わかってくれる人を採用しました」と話すのはセンター長の上野孝子さん(写真5)。
主な業務は、総合相談、デイサービス、訪問介護・看護、生活支援サービス、地域交流事業など。デイサービスは釜石市内すべてを対象とし、仮設団地外からも高齢者が通ってくる。センター内の診療所では週3日の診療を行っている。「住民のみなさんはそれぞれかかりつけ医を持っていますが、風邪を引いたときなど、すぐに診療が受けられて安心につながっています。インフルエンザの予防接種も行っているので、散歩がてらに気軽に受けることができます」
重点を置いているのは見守りと巡視である。「24時間365日の見守りで、夜間はスタッフ1名が常駐しています。テレビ電話を20台、同意を得られた方の自宅に設置しています。ケアゾーンには現在38件の方が入居していますが、若いご家族と住んでいるのが3~4件。その他は高齢世帯もしくは独居です。ケアゾーンの方には朝晩の2回か、最低でも1日1回は訪問しています。一般ゾーンにも高齢者や慢性疾患、障がいをお持ちの方がいるので、必要に応じて1日1~2回、3日に1回、1週間に1回、お顔を見せてもらっています」
住民の健康管理に関しては、血圧管理や服薬管理などを行っている。血圧管理は現在50名ほど。最近では自分たちで血圧を管理しようと、住民とスタッフの両方が血圧をメモに書くようにしている。
服薬管理を行っているのは現在4名。はじめは自己管理がむずかしい人が7~8人ほどいたが、1日分ずつ服薬の手伝いしていたのを1週間ずつ、1か月ずつと延ばしていき、今では自己管理できるようになった人もいるという。「自分で血圧管理や服薬管理をすることに慣れれば、仮設団地を出てからも続けられます。あと1~2年の間に自分で健康を守っていくという習慣を身に付けてほしいと思っています」
生活支援で行っていた買い物サービスは週3回から1回に減らし、代わりにスーパーの送迎サービスや移動販売車を利用してもらうようにしている。そのようにして地域とつながるところを少しずつ増やしているという。仮設団地がある間はサポートセンターは継続する予定だが、仮設団地は何年後かにはなくなるのは確かだ。「仮設住宅を出た後の住民の生活を見据えたサポートが必要だ」と上野さん。
仮設住宅を出てからが本当のスタート
釜石市では計画中の復興公営住宅(復興住宅)の3割ほどが完成し、徐々に転居が始まっている。復興住宅は2017年頃までにほとんどが完成する予定で、この1~2年で仮設団地を出ていく住民が増えていく。「これからが本当のスタート」と森谷さん、佐々木さん、上野さん。みな同じ言葉を口にする。
復興住宅へ移った人の言葉に上野さんは大きな衝撃を受けたという。「復興住宅へ移るまではワクワクしていた方が、いざ移ってみたら孤立感・孤独感に苛(さいな)まれて、まるで『独房にいるような気分だ』と言うのです。それで認知症が進んだケースもあります。阪神淡路大震災では復興住宅に移ってからの孤独死が多かったのです。なぜかというと、復興住宅は隣の音が聞こえない。重い頑丈なドアを閉めれば周りの音が聞こえない。この仮設住宅にいるときは、隣の音が聞こえる、子どもの声がうるさいと言っていましたが、それはお互いの安否確認になっていたのです。ところが復興住宅に移るとそれがないのです」
サポートセンターでは、復興住宅へ移った人に「センター便り」を月1回届け、イベントへの参加の声がけをするなどして見守りを続けている。仮設団地を出る際には、仮設住宅での関わり方や復興住宅に移ってからの心配な項目などを「生活応援センター」に申し送りをして、見守りとケアが引き続き行えるようにしている。仮設住宅では市から委託された支援連絡員が1軒1軒住宅をまわり声がけを行っているが(写真6)、その支援連絡員の見守りを復興住宅にも生かすという案もある。
仮設団地を出ることに対して、特に高齢者から不安の声が聞かれるという。「震災から5年が経ち、75歳だった方は80歳になり、80歳は85歳になります。あと何年で復興住宅に移れるのか。そのときに自分の身体はどうなっているのかという不安が非常に強いのです。『ここにいれば何かあったときにはあなたたちサポートセンターがいる。復興住宅に移ったら誰がいるの?』とおっしゃいます」(上野さん)。
その不安の声は女性から多く聞かれるというが、男性はどうか。「特に男性の独居の方は不安が強いとは思うのですが、男性からはそういった不安の声を一度も聞いたことがありません。仮設団地の巡視に関しても、お元気な方には回数を3回、2回、1回と減らしていくことがあるのですが、男性の独居の方は『2回を1回にしていい』とは決して言いませんね。全員、朝晩来てほしいとおっしゃいます」。気持ちを上手に外に出すことができるのは女性の強みだといわれる。男性は気持ちを心の内に押さえる傾向があることを理解して見守りをする必要があるだろう。
復興住宅への入居先に関しても課題は多い。釜石市は各地区に復興住宅を建設しており、震災前のコミュニティを優先して、基本的には以前住んでいた地域の復興住宅に移ることとしている。しかし、実際は中心部の住宅に申込みが多く、中心部から遠い場所に復興住宅をつくっても空きが出る傾向があるという。「ある意味、高齢化が響いている。病院に行くにもバスに乗らなくてはならない。震災前はそれでもよかったけれど、震災から5年経って年を取って、便利な場所に行きたいという人が多いのです」(佐々木さん)。
東日本大震災から5年の時が経ち、さらに高齢化が進み、被災者の状況や心境に変化が生じている。それを敏感に感じ取り、被災者の今に寄り添った復興への取り組みが進んでいくことを願いたい。
(2016年1月発行エイジングアンドヘルスNo.76より転載)
転載元
公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌Aging&HealthNo.76