第60回 助けてくれてありがとう
公開日:2023年11月10日 09時00分
更新日:2023年11月10日 09時00分
宮子 あずさ(みやこ あずさ)
看護師・著述業
精神科領域で働いていても、時々がんで亡くなる患者さんがいる。がんは高齢者の病気とは限らない。若くて患う人も少なくない。それでも、加齢に伴い罹患率が上がるのも事実。超高齢社会においては、がんも増加する。
若い頃から精神疾患を抱えて生きてきた人が、さらにがんになり、人によっては命を奪われる。ある病気にかかっていることは、別の病気にかからない保障にはならない。わかっていても、やりきれない気持ちになったりする。
訪問看護で働いていた時、相次いで2つのがんに見舞われ、亡くなった女性がいた。私より少し年下で、50代初めで亡くなった。
最初は耳下腺のがん。30代半ばから耳下腺が腫脹し、悪性化の可能性がある良性腫瘍として、10年以上様子を見てきた。私が身体科での経験があると話すと、とても頼ってくれ、ある時、耳下腺の腫瘍が大きくなったと、相談を受けた。
「大きくなったら手術と言われているけど、本当に治るのかしら。がんだって言われたら、もうダメなんじゃないかと思うと、病院に行くのが怖いんです」
私は病院に行くよう強く勧め、その際こう説明した。
「時間をかけて大きくなってきたものだから、早く切れば大丈夫。とにかく治るためには、1秒でもはやく診てもらうことですよ」
彼女はすぐに受診を申し込み、最短で手術を受けた。経過は順調で、1ヶ月ほどで退院。自宅に戻った。その後、私の勤務日の関係で、彼女を訪問する機会がなく、久しぶりに訪問したのは、退院から半年以上経っていた。
久しぶりに会った彼女はやせており、歩き方に元気がなかった。「宮子さんのおかげで手術をして、助かった」と笑顔を見せるが、私は何やらとても気になり、「なんかやせたようだけど、大丈夫?」と、最近の様子を聞いた。
「やせているっていうのはないけど、お腹が出てきて困っているの」と彼女は力無く笑った。「え?ちょっと、お腹を見てもいいかしら」
その時の情景を、私は今もはっきり覚えている。彼女のお腹はただ事ではない膨らみを見せており、私の経験では、間違いなく大量の腹水が溜まっていると思われた。
「ねえねえ、お腹ね、水が溜まっているのではないかと思う。いつも病院に行くようにばっかり言って申し訳ないんだけど、これも早く診てもらうのが良いと思う」
彼女はこの時も私の言葉に従ってくれた。後から聞いた話では、近くの内科クリニックに行ったところ、すぐに大きな病院を紹介され、そこで5リットルの腹水を抜いたという。
それから間も無く訪問看護にうかがったところ、彼女は淡々と診断結果を教えてくれた。
「スキルス胃がんで、もう手術はできないんだって。抗がん剤を外来でやる、って言われました。もう、やってもらうしかないね。宮子さん、病院に行くように言ってくれてありがとう。2度も助けてくれて、ありがとう」。
しかし、現実は残酷で、急速に調子を崩した彼女は、間も無く1人で暮らせなくなり、腹水を抜いた病院に入院が決まった。入院の連絡をくれた時、彼女は電話でこう言った。
「退院したら、身体の方を見てくれる訪問看護と往診の先生にかかる予定です。精神科の薬も往診の先生からもらいます。精神科の病院は、これでおしまい。長い間本当にありがとう。宮子さん、ありがとう」
その後は連絡のないまま日が過ぎ、ある時別の訪問先に行く途中、彼女のいたアパートの部屋を外から見た。ポストの口はテープで塞がれ、明らかに空室になっている。
「助けてくれて、ありがとう」の言葉を思い出し、少し佇んで、泣いてしまった。助けてあげられなかった、という気持ちで、胸が潰れそうだった。
あれから数年たち、私は60代になった。常に淡々としていた彼女は、どのような気持ちで最後の日々を送ったのだろうか。
亡くなった彼女は、もう歳を重ねることはない。老いはさまざまな変化をもたらす。それでも、歳を重ねられるのは、幸せなことなのだと改めて思う。
<私の近況>
11月に入っても暑い日が続いた東京。それでも少しずつ秋は深まり、少しもの悲しい季節。見送った患者さんのことをよく思い出します。そんな時読み返すのは、「100万回生きたねこ」。命に終わりがあるからこそ、わかることもある。そんなメッセージが心に響きます。棚に飾った「100万回生きたねこ」と、もふこ。並べてみると、やっぱりよく似ています。
著者
- 宮子 あずさ(みやこ あずさ)
- 看護師・著述業
1963年生まれ。1983年、明治大学文学部中退。1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業。1987~2009年、東京厚生年金病院勤務(内科、精神科、緩和ケア)。看護師長歴7年。在職中から大学通信教育で学び、短期大学1校、大学2校、大学院1校を卒業。経営情報学士(産能大学)、造形学士(武蔵野美術大学)、教育学修士(明星大学)を取得。2013年、東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。博士(看護学)。
精神科病院で働きつつ、文筆活動、講演のほか、大学・大学院での学習支援を行う。
著書
「まとめないACP 整わない現場,予測しきれない死(医学書院)、『看護師という生き方』(ちくまプリマ―新書)、『看護婦だからできること』(集英社文庫)など多数。ホームページ: