第61回 「行っていらっしゃい、気をつけて」
公開日:2023年12月 8日 09時00分
更新日:2023年12月19日 09時57分
宮子 あずさ(みやこ あずさ)
看護師・著述業
長く看護師として働いてきて、病気というのはなかなか治らないものだなあ、と実感している。精神疾患も身体疾患も、「治療をしていれば現状維持」という病気はとても多く、病気になる前の状態に戻らない場合も多い。
例えば私は高脂血症で数年前から内服を開始し、数値はほぼ正常範囲になった。私はこの経過に満足しているが、その際、一生薬を飲み続けなければならない可能性は受け入れている。薬に抵抗感がある人にとって、これは受け入れがたい状況かもしれない。
さらに病気の中には、治療を続けていても、病状が改善せず、死に向かう病気もある。その最たる例が進行がんだろう。がんも、手術や化学療法などによって、完治する人も多い。あるいは、再発して完治は望めなくても、長期間よい状態が続き、長寿の中で最後を迎える人も増えてきた。
それでも、がんで亡くなる人の多くは、ある段階を越えると、病状が一気に悪化する。「この人ががんで助からないなんて信じられない」と思うほど元気だった人が、息切れや倦怠感、発熱などさまざまなトラブルに見舞われ、急激に悪くなっていく。がんで亡くなった友人・知人の多くも、こうした経過をたどって最後を迎えていった。
このような段階の人にどのような言葉をかけるのか。これはとても難しい。最近はSNSで自らの病状を発信する人も増え、リアルタイムで揺れ動く気持ちと悪化する全身状態に触れる機会がある。
ある人は、少しでも長く仕事をしたいと希望し、さまざまな支援を使って出勤を続けている。肺転移で低酸素になるため、携帯酸素と電動車椅子を導入した。通勤路は荒れた道路もあり、行き帰りだけで大変な思いもする。
しかし、どんなことがあっても、通勤できる限りはそれを続けたい。その意志は固く、本当に頭が下がる。
また、ある人は、脳転移でふらつきが強いが、計画していた旅行は諦めない。予定していた場所は全て行くと決め、いろんな所で転びながら、さまざまな場所を回っている。
いつも一緒に旅をしていたパートナーもその気持ちを理解し付き添っており、転んでもまた次の場所に行く。その腹の据わった姿勢は、本当に、患者家族の鏡だなあ、と敬服している。
SNSの場合、このような投稿へのコメントは、「無理せずに」というニュアンスのものが多い。私も、ついついそのようなコメントをしていたのだが、ある時ふと気づいて、「お気を付けて」と書くことにした。
なぜなら、その人の体調がいかに悪くても、その時が一番いい状態の可能性がある。先延ばしにしたところで、病状は恐らく改善しない。最終段階になったら、先延ばしにせず、今したいことをするのがよく、周囲がそれを止めるのは不適切な対応だと思う。
無理をしなければ、やりたいことはできないのだから、「無理せずに」とは言えない。ゴツゴツ道にもめげず電動車椅子に乗って職場に向かう人も、ふらついても旅行にでる人も、転んで怪我をするリスクは引き受けた上で、「やること」を選んでいる。
私にできるのは、その選択を支持することだけだ。
多くの人が願うのは、これまで通りに暮らすこと。仕事をしていた人は仕事を続けたいし、旅行に行っている人は旅行に行きたいのである。
改めて考えると、「病気が治ったら」「状態がよくなったら」というのは、回復の見込みがある場合にしか言えない言葉。治らない人、中でも悪くなっていく人に対しては、これは当てはまらない。
私も母が膠原病の悪化で長くない、と覚悟してからは、やりたいことを支えるように関わった。母は作家で市民運動もしていて、地方への講演も多かった。それこそ携帯酸素をし、最後は車椅子を私が押す形で、地方へ行った。
「そんな無理をして、大丈夫なの?」という人もいたが、「寝ていても治るわけではない。この先よくなるわけではないので、今のうちにやりたいことをしてもらう」と言うのが、私の返事だった。
皆さんのまわりにも、このような人はいないだろうか。無理をしていて心配でも、そうしなければならない段階の人もいる。
「無理せずに」と声をかける時は、その人の病状をよく考えて。そして、「行っていらっしゃい、気をつけて」と、普段出かける時のように、声をかけてあげてほしい。
<私の近況>
がんに特有の、「ある段階を越えると、病状が一気に悪化する」経過を見事に描いているのが、哲学者の宮野真生子さんと人類学者の磯野真穂さんの対談集『急に具合が悪くなる』(晶文社)です。研究仲間の女性2人が、宮野さんの乳がん再発を機に、死を意識しながら生きることをめぐる哲学的な思索を繰り広げます。宮野さんは亡くなりましたが、この本の中に、今も確かに生きています。
著者
- 宮子 あずさ(みやこ あずさ)
- 看護師・著述業
1963年生まれ。1983年、明治大学文学部中退。1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業。1987~2009年、東京厚生年金病院勤務(内科、精神科、緩和ケア)。看護師長歴7年。在職中から大学通信教育で学び、短期大学1校、大学2校、大学院1校を卒業。経営情報学士(産能大学)、造形学士(武蔵野美術大学)、教育学修士(明星大学)を取得。2013年、東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。博士(看護学)。
精神科病院で働きつつ、文筆活動、講演のほか、大学・大学院での学習支援を行う。
著書
「まとめないACP 整わない現場,予測しきれない死(医学書院)、『看護師という生き方』(ちくまプリマ―新書)、『看護婦だからできること』(集英社文庫)など多数。ホームページ: