第66回 4月の桜
公開日:2024年5月10日 09時00分
更新日:2024年5月10日 09時00分
宮子 あずさ(みやこ あずさ)
看護師・著述業
このところはもっぱら3月中に満開になっていた東京の桜だが、今年は4月上旬に満開。桜の下で入学式を迎えた人もいたのではないだろうか。
この時期は、雨が多い時期でもある。3月下旬から4月上旬にかけて、菜の花の時期に降り続く雨のことを菜種梅雨という。
今年の東京はと言えば、満開の時期に限って雨の日が多かった。花散らしの雨と言えば風流なのだが、あっという間に散る桜は、なんとも言えずもの悲しかった。
桜の花を強く意識するようになったのは、30代の終わり、同い年の友人をがんで見送ってからだ。「次の桜は見られないかもしれない」と友人は言い、案に反して桜が見られたことを、本当に喜んでいた。
病気が進んで入院し、病室の窓からは、桜がきれいだとメールが来た。
「もうだめかと思っていたけど、桜が見られたわ。本当によかった。次はもうないだろうけど、今年見られたのは、本当にうれしい」。
40歳を迎えてすぐ、彼女は亡くなった。あれから20年が経ち、改めて、40歳の死は若すぎたと実感する。今生きていたら、彼女はどんな風に生きていたのだろう。
今にして思えば、自分が20代の頃、40代、50代は、はるか年上の年配者だったと言える。その年で人生が終われば、さすがに長生きとは言えない。それでも、ある程度までは人生やり遂げた人、というイメージがあった。
しかし自分が60歳になると、年齢の感覚は大きく変わる。40代、50代はまだまだ若い。どんなにか生きたかったろうと、その無念を思うのである。
桜は一気に花開き、花が散ると一気に葉が茂る。桜は潔い花であり、咲く時も散る時も、はっと目を見張らせる力を持っている。どんなに満開の桜がきれいでも、その先は散るほかない。きれいなのは一時とわかるからこそ、私たちは花を愛でるのだろう。
看護師として働き、いろいろな経験を積みながら年を重ねていく。今だから感じること、考えることがある。4月の桜を見ながら、改めて、見送った人を思い出す。
4月は両親の命日が続く。15日は父、17日は母。気づけば、父が亡くなってもう24年。母は12年。月日が経つのは本当に早い。月並みだが、1日1日を大切に。毎日を楽しく、悔いがないように生きたいものだ。
そんな気持ちを新たにする、桜の季節である。
<私の近況>
猫が出入りできるよう、わが家の寝室はドアを開けています。暖房の効率がいいように、手ぬぐいののれんを掛け始めました。雨で桜が散っても、わが家の桜は満開です。
奥には飼い猫・もふこの姿も。桜と猫、合いますね~。
著者
- 宮子 あずさ(みやこ あずさ)
- 看護師・著述業
1963年生まれ。1983年、明治大学文学部中退。1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業。1987~2009年、東京厚生年金病院勤務(内科、精神科、緩和ケア)。看護師長歴7年。在職中から大学通信教育で学び、短期大学1校、大学2校、大学院1校を卒業。経営情報学士(産能大学)、造形学士(武蔵野美術大学)、教育学修士(明星大学)を取得。2013年、東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。博士(看護学)。
精神科病院で働きつつ、文筆活動、講演のほか、大学・大学院での学習支援を行う。
著書
「まとめないACP 整わない現場,予測しきれない死(医学書院)、『看護師という生き方』(ちくまプリマ―新書)、『看護婦だからできること』(集英社文庫)など多数。ホームページ: