第58回 それも個人の選択
公開日:2023年9月 8日 09時00分
更新日:2023年10月 6日 09時23分
宮子 あずさ(みやこ あずさ)
看護師・著述業
先日知人から電話が入った。「血圧が上がっちゃって、降圧剤を出されたの。一度飲み始めるとやめられないんでしょう?飲まない方がいいかしら」。
このパターンの質問は、本当によく受ける。まず、薬を飲みたくないという前提があり、いったん飲むとやめられない、と思い込んでいる。そんな時私は、まずこう答える。
「ううん。そんな事ないですよ。血圧が一時的に上がって降圧剤飲んでも、適度な運動で痩せたり、心配事がなくなったりすると、下がることもあるから。そうなれば、薬はやめられます」
「ええ~。そうなの?じゃあ、安易に薬を出さないで、痩せろって言ってくれればいいじゃないのよねえ」
「血圧は、いくつだったんですか?」
「ええっと......上は一番最近は190くらいかな。下は90くらい。全然症状ないのよ」
「症状がなくても、その値は高いですね。私もその値を聞くと、脳卒中や心臓病が心配になりますよ。もちろん、体重コントロールや塩分制限とか、生活改善で下がれば良いでしょう。でもそれって、すぐには下がりませんよね。そのまま放置できない値だから、すぐに降圧剤が出たんですよ」
たいていの人は、ここまで話せば渋々でも納得してくれる。そして、とりあえずは降圧剤を飲んで血圧を下げ、長い目で見て薬がやめられるよう、生活を見直そうと思うのだ。
ところがこの日の知人はこれでも引き下がらない。「でも、血圧の基準が昔に比べれば下がっていて、降圧剤を飲む人がものすごく増えている、って話も聞いたわよ。製薬会社が薬を売るために、下げたって言う人もいるけど」
製薬会社云々は抜きにして、確かに、高血圧の基準値は、昔に比べればかなり低くなっている。私が就職した1987年当時、なんと高血圧の基準は180/100mmHgだったのだ。
それが現在では、家庭で測った場合が135/85mmHg、医療機関などで測った場合は140/90mmHgと、かなり下がっている。なお、自宅と医療機関で差があるのは、医療機関に来ると緊張して血圧が上がる人が多いからだ。
製薬会社が儲けるために、医学界に働きかけて、降圧剤を飲む基準を下げた、という説が根強くあるのも知っている。しかし、血圧は健診などでも広く集められるデータ。すでに、多くの科学的知見が蓄積され、血管系の病気と高血圧の関連がわかっている。
妥当な数値については、まだ検討の余地はあるのかもしれない。それでも、降圧剤を使ってでも血圧は、ある値の範囲にコントロールするのが望ましい。これが、私を含め、多くの医療者の理解である。
一方で、製薬会社と一部医師の不適切な関係が報じられた事件もあり、知人のような見方が出てしまうのも理解できる。この点は多くの医療者が責任を自覚しなければならない。
歳を重ねると様々な不具合が出て、薬が必要になる人が多い。私も高脂血症で内服が欠かせない。ツレは高血圧で降圧剤内服中。2人とも、薬で下げられるものは下げれば良い、と考える人間なので現状は受け入れている。
しかし、あくまでも薬に頼りたくない、という考えの人もいる。それもまた1つの考え方で、私の考えを押し付ける気はない。
「私は看護師としていろんな患者さんを見てきたけれど、やっぱり高血圧の人は、そのままにしておくと血管壁が硬くなって、血栓が詰まったり、破れて出血したりしやすいのは確かだと思うんですよね。降圧剤を無理に飲めとは言いません。ただ、どうせ製薬会社の陰謀だから、とリスクがないと思うのは、やっぱり違うと思います。飲まないならば、病気になる可能性が上がることは理解した上で、飲まない選択をしてほしいんです」
私の言葉に知人は「考えてみる」と言って、電話を切った。その後連絡はない。私にできることは、全てやったと思う。だれもが医学的に賢明な判断をするとは限らないが、それもまた、個人の選択である。
<私の近況>
いつもパソコンで仕事をしているのですが、筆記具も大好き。使わないかなあ、と思いつつ、きれいなガラスペンを買ってしまいました。イラスト描いたりしてみたいのですが、はてさて、実現にこぎ着けられるでしょうか。
もふこは、毎朝私が出勤か、家にいるのか、じっと見定めているようです。この日は出勤。この後、不服そうな表情をしていました。
著者
- 宮子 あずさ(みやこ あずさ)
- 看護師・著述業
1963年生まれ。1983年、明治大学文学部中退。1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業。1987~2009年、東京厚生年金病院勤務(内科、精神科、緩和ケア)。看護師長歴7年。在職中から大学通信教育で学び、短期大学1校、大学2校、大学院1校を卒業。経営情報学士(産能大学)、造形学士(武蔵野美術大学)、教育学修士(明星大学)を取得。2013年、東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。博士(看護学)。
精神科病院で働きつつ、文筆活動、講演のほか、大学・大学院での学習支援を行う。
著書
「まとめないACP 整わない現場,予測しきれない死(医学書院)、『看護師という生き方』(ちくまプリマ―新書)、『看護婦だからできること』(集英社文庫)など多数。ホームページ: