第57回 大事なのは生きること
公開日:2023年8月 4日 09時00分
更新日:2023年8月 4日 09時00分
宮子 あずさ(みやこ あずさ)
看護師・著述業
8月は先の戦争についての話題が増える季節。この時期だけ戦争と平和を論じるメディアを「8月ジャーナリズム」と揶揄する向きもある。私は、たとえこの月だけでも、戦争の悲惨さ、平和の大切さが語られるのは歓迎したいと思う。
私は1963(昭和38)年生まれ。もちろん戦争は知らない。しかし、敗戦後18年という年月は、まだまだ戦争を直接知る人も多く、今よりはるかに戦争は身近だったと思う。
実際私は、亡き両親から、戦争体験を直接聞いてきた。父は1927(昭和2)年生まれ。母は1931(昭和6)年生まれ。それぞれ、敗戦時には18歳と14歳で、戦争への考えを、それぞれに持てる年代になっていた。
母は軍国少女で、出征する兵士への旗振りなどに駆り出され、大きな声で激励していたという。一方、文学少年だった父はかなり明確に戦争への忌避感があった。勤労動員をサボタージュして騒動を起こし、徴兵を逃れるため理系の学校に進学した。
自らの行動を悔いる気持ちは母の方に強く、戦後反戦平和を目指す市民運動に積極的に関わった。戦争中の母はまだ幼く、軍国主義教育の影響は圧倒的だったろう。それでも、母はそれを自らが選んだ行動として、責任を引き受けることを選んだ。その姿勢には、身近にいた者として、深い尊敬の念を抱いていた。
そして、戦争を経て、両親は「人間は、自分の生き死には選べない」「なりゆきは運で決まる」という、諦観を強く抱くようになっていた。母はこんな話をよくした。
「空襲があって、たまたま一番近い防空壕がいっぱいだったから、別の所に逃げたのよ。そうしたら、入れなかった防空壕に着弾して。たくさんの人が亡くなった。私たち家族は、そこに入れなくて助かったの。運がよかっただけで助かり、運が悪かった人が亡くなった」。
この話は、看護師として長く務めるほどに、リアルに胸に迫ってくる。臨床でも、人の生死を分けるのは運。いい人が死に、人をたくさん傷つけた人が長生きする。決して因果応報ではない。
母から語られてきた諦観を、私は病む人と関わるなかで、検証し続けてきたとも言える。病気は本当に運。そして、年を重ねてさまざまな病気に見舞われた母は、ある時私にこんな問いを投げてきた。
「いい死に方をするためには、いい生き方をすることって言われているけど、本当にそうなのかしら?」
私は「人間は、自分の生き死には選べない」と自ら言っていた母が、そのようなことを言うのが、とても意外だった。そして、にべもなくこう答えた。
「そんなの全然関係ないよ。周囲の人に優しく、いい生き方をした人が苦しんで亡くなる場合もあれば、ひどい生き方をした人が、いわゆるぽっくり亡くなったりもするんだから。生き方と死に方は無関係」。
母は私の答えにひどく落胆した様子で、「やはりそうなのね」。今にして思うと、死というものがリアルになりつつあった母に、あの言葉はなかったかもしれない。かといって、私には気休めは言えなかった。
ただ、今ならきっとこう言うと思う。「どんな死に方をするかわからないからこそ、生きている今を楽しんでほしい」。そう、死よりも遙かに、生きることの方が、自分の力でなんとかできる。先がわからないからこそ、日々を楽しく過ごしてほしいと思う。
1987年、私が就職した時は、少数ながら、患者さんの中に、まだ明治生まれの人がいた。戦争経験者も多く、ケアをしながら苦労話を聞いたりもした。
激戦地から生き残り、病に倒れた人は、「あれだけの強運で生き延びても、人間いつかは死ぬんだなあ」と、何度も話していた。あの納得しきった口調は、今も忘れられない。
2023年の8月。戦争経験者はどんどん減っている。両親や患者さんから語られた経験を忘れず、機会があれば伝えていきたいと思う。
<私の近況>
今回は両親の話。前回出した両親の写真は今回の方がよかったのかも知れません。写真は、6月30日に夫婦で私の誕生日のお祝いをした時のもの。これからも元気に病棟で働いていこうと、気持ちを新たにしました。
お祝いから帰ると、ひとりで待っていたもふこは淋しかったよう。ちょっと怒り気味に、私たちを2階から呼び続けていました。大事にしたい、楽しい日々。
著者
- 宮子 あずさ(みやこ あずさ)
- 看護師・著述業
1963年生まれ。1983年、明治大学文学部中退。1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業。1987~2009年、東京厚生年金病院勤務(内科、精神科、緩和ケア)。看護師長歴7年。在職中から大学通信教育で学び、短期大学1校、大学2校、大学院1校を卒業。経営情報学士(産能大学)、造形学士(武蔵野美術大学)、教育学修士(明星大学)を取得。2013年、東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。博士(看護学)。
精神科病院で働きつつ、文筆活動、講演のほか、大学・大学院での学習支援を行う。
著書
「まとめないACP 整わない現場,予測しきれない死(医学書院)、『看護師という生き方』(ちくまプリマ―新書)、『看護婦だからできること』(集英社文庫)など多数。ホームページ: