第40回 訪問診療医殺害事件の衝撃
公開日:2022年3月11日 09時00分
更新日:2022年3月11日 09時00分
宮子 あずさ(みやこ あずさ)
看護師・著述業
1月27日、埼玉県ふじみ野市で、訪問診療をおこなっていた医師が、弔問に訪れた故人の自宅で殺害される事件が起きた。故人は92歳の女性。加害者は66歳の息子。犯行に使われたのは、息子が所持する猟銃だった。
余りにショッキングなこの事件は、日本では珍しい一般市民による銃犯罪であり、その点では特異に思える。一方で、在宅医療に関わる訪問看護師として、他人事とは思えない問題も含むように思え、大きな衝撃を受けた。
報道によれば、息子は「母が死んでしまい、この先、いいことがないと思った。先生やクリニックの人を道づれにして自殺しようと考えた」と、いわゆる拡大自殺※をほのめかす供述をしている。さまざまなトラブルを起こしていた情報もあり、これが事実なら、そのような人が猟銃を所持していた事実についても、強い不安を感じているところである。
- ※拡大自殺:
- 今のところ医学的な定義はない曖昧な言葉。ここでは、<自殺願望を抱いた人が、他者を道連れにしようとして殺害する事件>程度の意味で使っている。
中でも私は、息子が母親の治療について不満を持っていた、という点が、特に気になっている。実際に関わった医師が亡くなっているため、詳細はわからない。予断を持って論じることは、避けなければならないと思う。
それでも、<胃瘻(いろう)造設を希望したが叶わなかった><弔問に訪れた医師に心臓マッサージを要求した>という、断片的な情報のみから判断しても、息子は可能な限り命を長らえるための治療を希望していたように見える。
親の死を受け入れられない子どもへの関わりは、病棟勤務の時代に、私自身何度か悩んだ記憶がある。どうしても自分の経験と重なり、思案してしまうのだ。
そもそも息子の願いは、医療者から見れば、かなりの無理がある。92歳という高齢で、健康状態が下り坂になれば、何をやっても、死に向かう決定的な流れを変えようはない。
おそらくは治療方針であったろう、<むやみに強制栄養を行わず、体の限界が来たら、無理な蘇生は行わない>という方針は、医学的に妥当であり、故人の命を不自然に縮めたものではあり得ない。
一方で、これまでの看護師としての経験から、私はどんなに効果が期待できなくとも、延命治療を求める人が、一定数いると感じている。がんという、進行すれば亡くなるとわかっている悪性疾患でもそうだったのだから、それ以外の慢性病であれば、なおさらである。
では、この事件で、息子があくまでも母親の延命を希望したとして、それを叶える道はあるだろうか。唯一考えられるのは、いよいよ悪くなった時に、救急車でどこか病院に運んでもらう。このやり方しかあり得ない。
ゆっくり下り坂を下っている90代の人に延命治療を行わない方向を医師が勧めるのは、私の経験に照らしても、決しておかしなことではない。そして、無理をしない治療の方が、結果として命を細く長く保つ場合も多い。
しかし、今回の事件からは、その路線に決して乗れない人がいる可能性が強く示唆されている。いかによかれと思っても、無理に諦めさせるリスクを、在宅医療に関わる者は意識した方がよいと思った。
今は状態悪化時に希望する医療について、あらかじめ意思表示をしておくことが勧められている。そのような機会には、是非本音を話してほしい。最後まで積極的に治療を受けたいなら、それはひとつの選択である。
以上は今回の事件から私自身が学んだことである。多くの仮定に基づいている点はご容赦願いたい。改めて亡くなった医師のご冥福と、傷ついた方々の早い回復をお祈りしています。
参考
著者
- 宮子 あずさ(みやこ あずさ)
- 看護師・著述業
1963年生まれ。1983年、明治大学文学部中退。1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業。1987~2009年、東京厚生年金病院勤務(内科、精神科、緩和ケア)。看護師長歴7年。在職中から大学通信教育で学び、短期大学1校、大学2校、大学院1校を卒業。経営情報学士(産能大学)、造形学士(武蔵野美術大学)、教育学修士(明星大学)を取得。2013年、東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。博士(看護学)。
精神科病院で働きつつ、文筆活動、講演のほか、大学・大学院での学習支援を行う。
著書
『宮子式シンプル思考─主任看護師の役割・判断・行動1,600人の悩み解決の指針』(日総研)、『両親の送り方─死にゆく親とどうつきあうか』(さくら舎)など多数。ホームページ: