第14回 「ケアは女性がするもの」
公開日:2020年1月10日 09時00分
更新日:2020年1月10日 09時00分
宮子 あずさ(みやこ あずさ)
看護師・著述業
私が勤務する精神科病院は男性看護師が全体の3割を占める。男性看護師の全国的な割合が6%程度であることを思うと、男性が多い職場と言える。訪問看護室にも、たいてい男性看護師がいて、女性ばかりの中で働いていた私には、最初新鮮な驚きがあった。
訪問看護は、一対一で会話をするため、利用者さんと看護師のマッチングが難しい場合がある。例えば、女性の利用者さんが女性の看護師を、男性の利用者さんが男性の看護師を希望する場合、可能な限り要望に応えている。「同性のケアを受けたい」という希望は自然であり、ケアの世界では、それを権利として尊重する考え方が強まっているからだ。
しかし、以前50代の男性が「男性は嫌だ」と女性看護師を希望した時は、複雑な気持ちになった。理由を聞くと、「男性は気を遣う」。この意識が、私はとても嫌だった。
確かに、この社会では、未だ「ケアは女性がするもの」という固定観念が強い。病棟に配属された男性看護師から、「女性だけではなく、男性からも敬遠されることがある」と聞いたこともある。しかし、こうした意識は本来変わるべきであって、患者あるいは利用者のニーズとして、当たり前に受け入れてよいのだろうか。
一方で、訪問看護の場合、「来ないでくれ」と言われたら終わり。病棟以上にケアをする側が譲歩しなければならない現実がある。この男性の希望も、結局は受け入れた。私はとても釈然としない気持ちだったが、こうするしかないのは理解できた。
病棟で働いていた時代から、「自分が受け入れられない考えを持つ患者さんにどう対処するか」は、私にとって大きなテーマだった。一つの前提として、患者さんは、すでに十分大変な思いをしており、そもそも好き好んで病院に来ているわけではない。さらには、もう残された命が短い場合さえある。そのような人に今さら「考え方を変えてほしい」と望めるだろうか。
結局私は、なるべく異議を唱えず違和感をやり過ごしてきたのだが、少し変化もある。在宅介護の担い手が息子や夫、という場合が明らかに増えてきた。この場合、介護を受けている本人の意識も、変わらざるを得ない。いや、本質的には変わっていないのかも知れないが、状況を受け入れる中で、「ケアは女性がするもの」という意識は脇に置かれるようだ。
生涯、結婚しない人が増える。子どもを持たない人が増える。社会では少子化が「国難」のように言われるけれど、その結果、男性も介護を担うようになったのは、良い変化だと喜んでいる。
思えば、「ケアは女性がするもの」という固定観念が強いからこそ、少子化も進むのだ。子育ても介護も負わされる女性にとって、結婚・出産がどれだけ重いプレッシャーになるか。これを社会が認めない限り、現状はよくならないだろう。
だからこそ、介護が必要になる前に、「ケアは女性がするもの」という意識を見直すこと。介護の備えに、是非これを加えてほしいと願っている。
著者
- 宮子 あずさ(みやこ あずさ)
- 看護師・著述業
1963年生まれ。1983年、明治大学文学部中退。1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業。1987~2009年、東京厚生年金病院勤務(内科、精神科、緩和ケア)。看護師長歴7年。在職中から大学通信教育で学び、短期大学1校、大学2校、大学院1校を卒業。経営情報学士(産能大学)、造形学士(武蔵野美術大学)、教育学修士(明星大学)を取得。2013年、東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。博士(看護学)。
精神科病院で働きつつ、文筆活動、講演のほか、大学・大学院での学習支援を行う。
著書
『宮子式シンプル思考─主任看護師の役割・判断・行動1,600人の悩み解決の指針』(日総研)、『両親の送り方─死にゆく親とどうつきあうか』(さくら舎)など多数。ホームページ: