第9回 家で看取る選択について
公開日:2019年8月 9日 09時00分
更新日:2019年8月 9日 09時00分
宮子あずさ(みやこ あずさ)
看護師・著述業
7月20日(土)の夜、18年間共に暮らした雌猫・ぐう吉が苦労のない国へ旅立った。6歳頃から腎臓が悪く、短命を覚悟したのが昨日のことのように思える。猫の18歳は人間で言えば90歳前後。自宅での皮下補液も10年を超えた。淋しい中にも、天寿を全うさせてあげられた満足感もある。
別れは急に訪れた。7月19日(金)の夜、夫婦で家に帰ると、ぐう吉が苦しそうにうずくまっていた。夜間救急の動物病院では、心不全による肺水腫の診断。入院も勧められたが断り、家に連れて帰った。この時の私の考えははっきり思い出せる。初めてかかった病院に預け、そのまま死なせたくないと思ったからだ。
背景には、とにかく人見知りで家から出たくないぐう吉の個性がある。そして、18歳という高齢で、腎不全があり、目も見えなくなっている現状。全体として下り坂にあるのは明らかで、集中的な治療をして乗り切れる確率が低いと判断した。
私の考えを救急病院の医師に告げると、快く帰宅の準備をしてくれた。かかりつけの動物病院への紹介状には、行った検査結果がすべて添付され、翌日それを持参し、かかりつけの病院を受診した。
長年診てくれた主治医はぐう吉の個性も熟知しており、家で可能な範囲の治療を考えてくれた。心電図の結果不整脈の頻発がわかり、内服を続けて改善を期待した。結局その願いは叶わなかったが、最後は家で見送る、という願いは叶えられた。
今はとても淋しいけれども、私たち夫婦だけに付き添われ、看取られたぐう吉は、きっと満足してくれたと思う。それを思うと、あたたかい気持ちになる。
動物霊園で火葬してもらい、今は骨壺にいる。遺影と骨壺を近くにおいて話しかけているが、これもかけがえのない時間だと感じられる。
人間と猫はもちろん違う。とは言え、飼い主として、全面的に責任を負っての治療の選択は、なかなか厳しい。本人の意思を確認できないだけに、さまざまな後悔もあり得て、いわゆるペットロスから立ち直れない人もいる。
今回実感したのは、ある選択をする時に、自分がなぜそうしたのか。それを自分に対して説明できることが、とても力になる、ということだ。
在宅療養をしている人が急に状態が悪くなった時、家に戻すかどうか悩む場面は非常に多い。その際、やはり濃厚治療と家で過ごすよさは、トレード・オフになりがちである。私はその事実を直視した上で、家で過ごすよさをとった。
家で看取ることの難しさは、やはりここが割り切れるかどうかにかかっているのではないだろうか。この難しい選択を避けずに、きちんと考え、答えを出していく。その大切さを改めて学んだ。
ぐう吉、最後までありがとう。
著者
宮子 あずさ(みやこ あずさ)
看護師・著述業
1963年生まれ。1983年、明治大学文学部中退。1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業。1987~2009年、東京厚生年金病院勤務(内科、精神科、緩和ケア)。看護師長歴7年。
在職中から大学通信教育で学び、短期大学1校、大学2校、大学院1校を卒業。経営情報学士(産能大学)、造形学士(武蔵野美術大学)、教育学修士(明星大学)を取得。2013年、東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。博士(看護学)。
精神科病院で働きつつ、文筆活動、講演のほか、大学・大学院での学習支援を行う。
著書
『宮子式シンプル思考─主任看護師の役割・判断・行動1,600人の悩み解決の指針』(日総研)、『両親の送り方─死にゆく親とどうつきあうか』(さくら舎)など多数。ホームページ: