第50回 いちょう並木の思い出
公開日:2023年1月13日 09時00分
更新日:2023年1月13日 09時00分
宮子 あずさ(みやこ あずさ)
看護師・著述業
11月終わりから近所のスーパーに袋入りの銀杏が売られている。訪問看護で外回りをしていた頃は、いちょうが色づくのをみては、「そろそろ銀杏が売られるのだなあ」と思ったものだ。
病棟勤務になった今年は木々の彩りも意識しないまま、季節が流れて行く。暑さ寒さに悩まされない代わりに、季節感が薄れたのは、少し寂しい。
ただ、いちょうは色づいた後、実を落とすと、果肉が道路を汚し、かつ強烈な匂いを放つ。ひとたび踏んでしまうと、靴の裏に匂いが残り、なかなか取れなかったこともあった。
忘れられないのは、果肉で滑って骨折した利用者さん。高齢の女性で、少しずつ足が弱っていた。ヘルパー支援は希望せず、訪問看護以外に支援は入っていなかった。
買い物の代行もできる、と申し出た時は、やんわり断られた。「ゆっくりいけば、大丈夫。一人暮らしだから、自分で頑張らなくちゃ」。その気持ちを尊重して、見守っていた。
何年か前の秋、住んでいる公営住宅の敷地で倒れているのが見つかり、救急車で病院に運ばれた。足首を骨折し、しばらく一人で生活するのが難しくなった。
ところが、骨折の治療をした病院は、「治療はもう終わったから、入院は不要。帰ってください」とけんもほろろだった。
付き添っていたのは、病院から呼び出された妹。困り果ててかかりつけの当院に相談し、とりあえず入院することができた。
この経緯を思うと、本当にやりきれない気持ちになる。患者の身になれば、なんと冷たい病院だと腹も立った。一方で、病院のやむを得ない事情もよくわかる。
とにかく国は長期入院を嫌う。ましてや怪我そのものの治療ではなく、一人で暮らせないが故の入院。「ときどき入院、ほぼ在宅」を推進する国が、最も家に帰したいパターンなのだ。
しかし、介護保険も認定を取っていない状況では、早急に居宅支援を入れたり、ショートステイを利用するのは、不可能であった。かくして、やむなく当院に入院したのだった。
骨折で精神科病院に入院、というのは本来あるべき姿では無いかもしれない。しかし、それ以外の方法があの時あったのだろうか。私は今も、対案が思い浮かばない。
そして、女性の場合、骨折を機に、不安から精神状態が悪化。骨折が治り、歩けるようになってからも、しばらく薬剤調整などのため、入院継続になってしまった。
幸いなことに、退院後は自宅に戻り、今までのように生活できた。退院後の訪問で、倒れた時の状況を聞くと、銀杏の果肉で汚れた道路で滑り、転んでしまったのだという。
「小雨が降っていてね、先を急いだら、銀杏の実でぐしゃぐしゃになっていた歩道で滑っちゃったの。痛いわ、臭いわ、もう本当に、死ぬかと思った。銀杏、大好きだったけど、もう2度と銀杏は食べないわ」
ユーモアこそ回復の証。女性の笑い声を聞いて、私は本当にほっとしていた。
今はもう行くことがなくなった女性の住む公営住宅を、懐かしく思い出す。
敷地内には道路に沿っていちょう並木があり、実をつける時期には、道路に落ちた果肉が多数飛び散っていた。
この果肉は、確かに危ない。私も移動中、電動自転車の車輪が滑り、転倒寸前になった経験がある。この時は、ついた足も靴底が滑り、踏ん張れなかった。コントロール不能のまま走り抜け、たまたま転ばず止まることができた。
あのまま転んでいたら、歩いていた女性以上に、ひどい怪我をしたかもしれない。銀杏の実がなる時期には、路上の落とし物に要注意である。
女性がこの先も健やかに暮らしてほしいと願いつつ、私は茶碗蒸しに入れる銀杏を茹で終えたところである。
<私の近況>
結婚してから、銀杏を食べるようになりました。ツレが大好きで、茶碗蒸しに入れたら、とても美味しかったんですよね。冷凍しておくと年中食べられると聞いて、たくさん買ってきました(写真1)。殻を割って、茹でずに甘皮をつけたままジップロックに入れて冷凍します。右にある道具で殻を割って中身を出しました(写真2)。
著者
- 宮子 あずさ(みやこ あずさ)
- 看護師・著述業
1963年生まれ。1983年、明治大学文学部中退。1987年、東京厚生年金看護専門学校卒業。1987~2009年、東京厚生年金病院勤務(内科、精神科、緩和ケア)。看護師長歴7年。在職中から大学通信教育で学び、短期大学1校、大学2校、大学院1校を卒業。経営情報学士(産能大学)、造形学士(武蔵野美術大学)、教育学修士(明星大学)を取得。2013年、東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。博士(看護学)。
精神科病院で働きつつ、文筆活動、講演のほか、大学・大学院での学習支援を行う。
著書
「まとめないACP 整わない現場,予測しきれない死(医学書院)、『看護師という生き方』(ちくまプリマ―新書)、『看護婦だからできること』(集英社文庫)など多数。ホームページ: