第64回 宅配ボックス
公開日:2023年1月 6日 09時00分
更新日:2023年8月21日 11時47分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
年末になるとお歳暮が送られてくる。
郵便受けに「荷物を宅配ボックスに入れておきました」と宅配の人の手紙が入れてあった。
我が家をこの地に建ててから20年以上は経つが、そのボックスを使ったことはなかった。
宅配ボックスは玄関から離れた場所で駐車場の隣にあるので存在に気がつく配達業者は今まではいなかったのだ。
玄関は2階にあり、駐車場が1階にある。
家人すらその存在を忘れていたボックスへ配達物を投入していった宅配の人はどんな人なのだろう?
こんなことをする人は老人に違いないと何故か確信した。
私は玄関を出て階段を下りて、宅配ボックスを開けようとしたが、開かなかった。鍵が必要であったのだ。
厄介なことをしていった宅配の人を私は憎らしく思った。
家の中に戻って長い間使ったことはなかった、在るか無いか分からない鍵を苦労して探し出して、鍵穴に挿した。
鍵は思いのほか簡単に回った。
しかしボックスの扉は開かなかった。
開かずのボックスに入っている荷物は誰からの物か?
送り主は私から着いたという返事を待っている筈だ。
お礼の返事を早く出さねばならぬが誰に出せばいいんだ。
私は宅配の爺さんを恨んだ。
開かないこのボックスにどうやって荷物を入れたのか?
私はそのからくりを知りたかった。
宅配の爺さんの再来を待っていた。
次の日に事件の主犯が新たなお歳暮を持ってやってきた。
私の想像とは異なり若いお兄ちゃんであった。
「どうやって開けたのだ?!」と詰問すると、「開いていたので入れておきました」と平然と言うではないか。
彼は事件の真相を理解できていないようであったので、彼の前で開扉を試みて見せた。
私がおもむろに鍵を鍵穴に差し込んで回し、取手を持って引っ張ったが扉は動じなかった。
私は「こういうことなんだよ。分かったか!」
と勝ち誇ったような顔になったに違いなかった。
しかしお兄ちゃんは不審そうな表情を崩さなかった。
「じゃー自分で開けてごらんよ」という私の誘導に、彼が錆びた扉をつかんで引っ張ると開いた。
錆びたボックスの扉を開けるにはある閾値を超えた力が必要であったのだ。
古くなった鍵は無効になっていた。
私の力が足りなかったのが真相であった。
私は毎朝、外来の始まる前に、診療所にある自動販売機でペットボトルに入ったお茶を買う。
私の指の力では開かない蓋を看護師に開けてもらう。
彼女たちは平然と開けてくれる。
それと同じ原理であったのだ。
ペットボトルは力を出せば開くことが分かっているが、この宅配ボックスは力を入れれば開くという事実を私が知らなかった。
それにしても人間は思わぬことで、見も知らぬ人を憎んだり恨んだりするものだ。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」(いずれも風媒社)など