第26回 ナレですよナレ
公開日:2019年11月 1日 09時00分
更新日:2023年8月21日 12時57分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
この頃、軽減税率やポイント還元などと耳鳴りのように聞こえるようになってきた。
買い物へ行くたびに「ポイントカードを持っていますか?」と聞かれる。その度に「持っていません」と答えていたが、この頃は「ポイントカードとはなんぞや?」と思うようになった。
ポイントカードとスマホと軽減税率は何らかの関係がありそうだ。ポイントカードと軽減税率とガラケーは関係なさそうだ。
私は世間の渦から外れてしまいそうである。
私は4年前にスマホを買ったついでにタブレットも買った。ガラケーも手放さなかった。
ガラケーからスマホに換えていく心づもりであった。
寄せる波の波長に合わせてスマホに乗り換えるつもりであったが、タイミングを合わせそこなってガラケーにつかまったままである。
私が今までにスマホを使ったのは家族が入れてくれたLINEと画面に表示されるニュースを見るときだけである。
タブレットは部屋の隅で音がしているが触ったことがない。
スマホはガラケーが行方不明になったときに便利である。
スマホからガラケーに電話をするとガラケーから音がして居場所がわかる。
最近になってスマホを紛失した。ガラケーからスマホに電話をしたが応答がなかった。
昼食の和食屋でスマホのニュースを見ていたことを思い出した。
私は和食屋へ出かけて聞いた。
「ありません!」というのでカウンターの後ろ側の棚の辺りをのぞき込んで「ここにないの?」というような顔をした。
店のおばさんは「スマホが忘れられているときは必ず届けられるけどね」とあまり気の毒そうな顔はしなかった。
和食屋に決まっていると確信していた私は彼女への不信感を拭えなかった。
それから1ヶ月後にスマホがカバンの底から出てきた。
ガラケーに応答しなかったのはスマホが壊れていたからだった。
1ヶ月の間スマホと無縁の生活を送っていたわけだが、もっとも無縁と言ってもそれまでもさほど縁があった訳ではなかったが、私には何の不都合も生まれなかった。
スマホの紛失が私のQOLに全く影響を及ばさなかったのである。
そのことが私の不安を呼び覚ました。
国民全員がスマホに誘導されてどっかの方向へ向かって歩いている時代に、私は置いてきぼりにされてしまった。
そのことに気がついたのだ。
私は絶海の孤島に置き去りにされているようなものかも知れない。
それに噂によるとそのうちにガラケーは使えなくなるというではないか。
私は不安に震えるようになった。
ガラケーを使えなくなったら私が迷子になっても誰にも知らせることができなくなる。
私は度々意を決するのだが、今回も意を決してスマホに乗り換えようと思った。
壊れたスマホを持ってNTTドコモのショップへ行った。
病院の初診のように緊張した。
店に入ると相手にしてくれたのは少し太った人の良さそうな中国人の色白の若い女性であった。
壊れて腹部の腫脹したスマホを器用な手つきで触ると、私が使いもしないスマホとタブレットのために毎月1万5千円も払っていたことを教えてくれた。
上手な日本語であった。
太った体に似合わない白い指ですいすいと手際よく難題を解いていった。
私は壊れたのはスマホであって自分が病気でここへ来たのではないことを理解すると気楽になった。
「よくそんなことができるね」と私が感心すると「ナレですよ」と彼女が言って「ナレですよナレ」と繰り返した。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していないードクター井口のひとりごと」(いずれも風媒社)など著書多数