第49回 川の流れのように時は過ぎていく
公開日:2021年10月 1日 09時00分
更新日:2023年8月21日 11時55分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
私の行きつけの理髪店は天白川から100メートル離れたところにある。
集合住宅があり、私たちはそこに住んでいた。子供たちを育てた頃は子供を叱る母親の声で溢れていた。25年も前のことである。
川の流れは穏やかで春には土手にタンポポが花をつけて、川沿いには桜が咲いた。
月に一度、子供を連れて理髪店へ通った。
理髪店にはいつでも先客がいて何時間でも週刊誌を眺めて待った。家庭には持ち込めない少しエッチな週刊誌があった。
理髪店には二人の子供と犬と女房がいて、家族全員が仕事場で過していた。女房は顔そり専門であった。
女房がいつも子供を叱っていたので、客は家庭にお邪魔しているような気分になったものだった。
月日が経って、子供たちはいなくなり、犬もいなくなった。
理髪店周辺にあった美容院もうどん店もクリーニング店もなくなった。
私も天白川沿いの住宅を去り、郊外へ引っ越した。
引っ越し先で理髪店を探したがどこの理髪店も馴染むことはできず、結局川沿いの理髪店へ戻ることになって、毎月通っている。
最近では理髪店にいるのは亭主ひとりだけであり、ふくよかな女房は顔を見せなくなった。
予約することにしているのだが、度々トラブルが生じる。
亭主はカレンダーの日付の隙間に小さい文字で「井口先生」と書き付けておくだけだ。私の方でもこの頃の日程はパソコンで管理している。スマホが上手く使えないので、家に帰ってから書き込むことになる。
だから時折忘れるのだ。
双方のずさんな日程管理が相まって予約管理が機能しない。
予約した時間に先客がいたり、予約した日に亭主がスーパーへ買い物に出かけてしまったりする。
私は理髪店へ着くと入り口に車を止めて車の中で待っていることにしている。待合の椅子は固くて粗末だからである。入り口からは理髪店の中が見える。
先週の木曜日の午後のことだった。
その日は椅子に腰掛けて待ちながら眠っている客が一人いた。またダブルブッキングだ。
散髪中の客はいなかった。
亭主はどこかへ出かけているようで、気配がなかった。
私の散髪は予定よりかなり遅くなりそうだった。
私は車の中で眠ってしまった。
目覚めると店内から私を覗っている人がいた。
それは理髪店の亭主であった。
客の席で眠って待っているように見えた人は亭主だったのだ。
朦朧とした私の目の前に映る男は私の脳裏に残るかつての理髪店の亭主ではなかった。別人のように思えた。
任侠映画の主役ような男だった。
それが暇があれば眠り込み、太り、メリハリのない男に変ってしまった。
私は痛む膝を抱え込むようにして店内に入った。
鏡に映った私の姿は後期高齢者であり理髪店の亭主はまがいもない前期高齢者だ。
二人はこの頃無駄話もしない。無口になった。
黙って散髪を終えて外に出ると天白川の川の流れは昔と変わらず穏やかだった。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」(いずれも風媒社)など