第83回 ホルター心電図
公開日:2024年8月 9日 08時30分
更新日:2024年8月 9日 08時30分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
私に発作性の不整脈が出現することが判明したのは、11年前に食道がんで大学病院へ入院していた時だった。
退院してからも時折不整脈が出ていたが、最近になって連日出現するようになった。
我が身を襲う不整脈の正体を突き止めるためにホルター心電計で心電図を記録することにした。
ホルター心電計とは小型の心電図測定装置を身に着けて入院することなく24時間の心電図を記録できる装置である。
同時に被験者の行動を記録して「日常の行動やストレス」と「不整脈」との関係を調べるのである。
2024年6月20日;木曜日午後3時、大学病院の外来で心電計を身に着けた。
風呂以外はいつもの生活を送って24時間の心電図の記録が始まった。
次の日に、桑名の病院で午前中の診療を終えて心電計を外すために車で大学病院へ向かった。
高速道路のインターの入り口にある日本食の料理屋で昼食を取った。12時30分であった。
その日の食事は11年前に食道がんで入院中に食べた病院食の味に似ていた。
入院を経験したことのある全国の大学教授が口をそろえて大学病院食はまずいという。
病院の食事がまずいのは全国共通の現象であるようだ。
しかし食事の美味しさ加減が心電計に反映されることはない。
食事を終えて桑名のインターから高速道路に入った。
左に鈴鹿山脈を見て眼前には御岳山が見えるはずの薄曇りの日だった。私の心臓の拍動は順調そうであった。
名古屋西インターで東名阪道路を降りて名古屋高速道路に移る時に通常はETCゲートを通過するのだが、私は普通車用のゲートへ入ってしまった。そして支払いをせずに通り過ぎた。過ちに気が付いてバックミラーを覗くと係りのおじさんが両手を挙げて何か言っているように見えたが声は聞こえなかった。
私は無賃通過という罪を犯してしまったのであった。
出口に広がる広場の左側の端に車を止めた。しかしそこからバックしてゲートへ戻るのは危険であるし、車を降りて歩いてゲートに行く勇気はなかった。私の心臓は激しく脈打っていたに違いない。
途方に暮れて数分止まっていたが諦めて名古屋高速に入り鶴舞のインターへ向かった。
大学病院の駐車場に車を止めると後悔の念が襲ってきた。私の車のナンバーは名古屋西インターでしっかりと記録されたに違いない。
先月高齢者の運転免許の試験を受けたばかりであるのに取り返しのつかない罪を犯してしまったと思った。
心電計を身に着けていることはすっかり忘れていた。
「何とかこの始末をつけておかなければならない」
しかしどこへ連絡すればいいのだろう?
私は車を買った会社へ電話をかけて「どこへ電話をすればいいのか?」と聞くと、高速道路を管理しているNEXCO中日本に電話をするのがよいと言って電話番号を教えてくれた。
NEXCOに電話をすると、名古屋西インターの電話番号を教えてくれた。電話をすると思いのほか親切で、私のETCカードのナンバーを聞かれた。
私のカードの番号を伝えると無事支払いができたようであった。
私の犯罪は消えたのであった。
午後3時に病院の外来に行き看護師に心電図を外してもらった。
私の24時間の行動が心電図にどのように反映されているのか?
解析はこれからである。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学クリニック医師
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2024年より現職。名古屋大学名誉教授、愛知淑徳大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」「<老い>という贈り物-ドクター井口の生活と意見」「老いを見るまなざし―ドクター井口のちょっと一言」(いずれも風媒社)など