第38回 CVポート
公開日:2020年11月 6日 09時00分
更新日:2023年8月21日 12時53分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
名大病院の中央診療棟の地下1階の奥に放射線治療室がある。私が放射線治療を受けるために毎日通った場所である。
治療室の前に待合室がある。そこに正確な名称は忘れたが「放射線友の会」の会誌が置いてあった。放射線治療により癌から生還した人たちの体験談が載っていた。
私は末期の食道癌と診断されて外科手術が不能であるので念のために放射線治療を受けて「万が一癌が縮小したら手術を考えましょう」と主治医に言われていた。
視野の先に落下する滝の存在を常に意識していた我が身にとって羨ましき一群の人たちの存在を知らされた雑誌であった。
私とは別の世界で生きている人たちのお話であった。
2013年の5月であった。
私の癌はやがて食道を閉塞して食物が喉を通過しなくなると予測されていた。
医者の誰もが「そのうち食物が喉を通らなくなる」と思っていた。
私の同僚の教授は喉に違和感があってから水も喉を通過しなくなるまで1年ももたなかった。
彼は静脈から栄養剤を注入しながら半年ほど生き延びて死んでしまった。私の食道癌発見より1年前のことであった。
私もいずれそうなるであろうと思ってその日のために鎖骨下の静脈にCVポートを作った。
CVポートとは体外から薬剤を投与するために皮膚の下に埋め込んだ100円玉ほどの器具である。この器具があれば毎回血管に注射針を刺さなくてもその器具めがけて皮膚の上から注射針を刺せばそこから血管に薬剤が導入される。
放射線科医が2人で手際よく作ってくれた。
それからは私の胸の右の上部には触れば固い塊がいつも触れた。胸部写真を撮れば必ず映っていた。
その年に東京オリンピックの開催が決まった。入院中のテレビでは連日オリンピック開催に向けての放映が繰り返されていた。
私はオリンピックまで生きてはいないことは確実だと思っていた。
私がいなくても世界は変わりなく動く。
私の存在しない社会が何事もなく展開していく。
そういうことかと納得しながら仲間はずれの悲哀を味わっていた。
しかし大方の予想に反して私の癌は半年後に消えた。
その後半年ごとにCTをとり1年ごとに胃カメラをやってきた。
検査の日が近づくと憂鬱になる。そしていずれCVポートのご厄介になるだろうと思っていた。
半年ごとの延命が毎年延び延びになって7年経った。
今年で8年目に入っても私は生きている。
その間、私のCVポートは使わずに過ぎてきた。
今年の9月になって、もう不要だろうということで摘出することになった。
装着した時と同じ放射線治療室で二人の医師によって摘出してもらった。
CVポートは私のお守りであった。
それがなくなった。
そして見ることはないと思っていたオリンピックが延期になるのを確かめている。
(イラスト:茶畑和也)
著者
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より現職。名古屋大学名誉教授。
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」(いずれも風媒社)など