いつも元気、いまも現役(フォトジャーナリスト 笹本 恒子さん)
公開日:2020年10月 1日 09時00分
更新日:2022年8月23日 09時27分
日本初の女性報道写真家の誕生
「日本では初めてですが、女性の報道写真家になってみませんか。女性の目で、あなたの目で見た写真を撮るのです」。写真協会の創設者の林謙一さんの言葉に後押しされて、昭和15年(1940年)に日本初の女性報道写真家となった笹本恒子さん。
代表作は、戦中の「日独伊三国同盟婦人祝賀会」、「ヒットラーユーゲント(ヒットラー青年団)来日」をはじめ、戦後の復興時代の「マッカーサー元帥夫妻」や「三井三池争議」、「安保闘争」など、日本の激動時代を女性の目でしなやかに捉えてきた。こうした歴史的場面を撮影する一方で、さまざまな分野の「時の人」を写真に収めた。
「最初は報道写真家なんて、わたくしにできるのかしらと不安はありました。林さんがライカ(ドイツ製カメラ)にフィルムを入れてくださって、日比谷公園でのスナップを勧めてくださったの。その写真を見て、『画家をめざしていただけあって構図がよくまとまっている』と言ってくださいました。それが少しの安心でしたね」と笹本さんは当時を振り返る。
エクスキューズ・ミー・マッカーサー
ゆったりとした口調で常に微笑みを浮かべている。笹本さんが話をするとその場の空気が和み、不思議とこちらまでが笑顔になってしまう。きっと写真撮影の際もこのように人を包み込むのだろう。笹本さんの写真の中の人はみな、親しい友人に会ったときのように自然な表情で捉えられている。
「マッカーサー夫人の笑顔の写真がすばらしいですね」と聞いてみると、「それはね、その写真を撮る以前に、ちょっとあったから(笑)」と当時のエピソードを聞かせてくれた。
「マッカーサー夫妻に声をかけてはいけないのに、声をかけてしまったの。戦後初の織物展示会のテープカットの瞬間、各新聞社のフラッシュがパッ、パッと光ったの。ところがわたくしのフラッシュは光らない。
他の新聞社が引き揚げた後、マッカーサー夫妻の後ろをそっとついていって、マダムのほうに『エクスキューズ・ミー。ここで写真を撮らせていただけませんか』とお願いしましたの。夫人はうなずいてポーズしてくださってニッコリ。マッカーサー元帥も同じようにポーズを。他社と違うカットが撮れて少々得意になりました。本当はマッカーサーにはこちらから声をかけるなどもってのほか。でも、わたくし知りませんでしたから。
マッカーサー夫人の笑顔の写真は、その1年後のファッションショーのときのもの。夫人に会釈してカメラ向けたらニッコリしてくださって。どうやらわたくしのことを覚えてくださったようですね」
大物政治家・三木武吉さんの撮影秘話もひとつ。
「その日は政変の日で、朝からたくさんの面会者が来ていました。朝8時に伺って、シャッターを切ったのが午後2時。お庭で三木先生と他の議員さんが並んだ写真を写したけれど、三木先生、お一方だけを写したい。すぐに車に乗ろうとされたので、とっさに『先生、家の中で写真を1、2枚』と言葉が口に出ました。
三木先生は黙ってお部屋へ行かれて、そこでシャッターを。『恐れ入りますが、廊下で』と言ったら、黙って廊下へ。『恐れいりますが、お庭で』と言ったら、黙って庭の大きい石に腰掛けられたので、そこでシャッターを切りました。いつ怒鳴られるかわからないからブルブル震えながらでしたけど(笑)。
後で聞いたのですが、わたくしが『家の中で写真を』とお願いしたとき、秘書の方に『俺は女には甘いんだ』とボソっとおっしゃったんですって(笑)。それが聞こえていれば少し安心したのに。三木先生はお顔は怖いけど、そんな方でした」
持ち前の行動力と機転が光るエピソード。大物政治家までが笹本さんの手にかかれば素の表情を見せる。
71歳で写真の世界に復帰を果たす
昭和の激動の時代をフォトジャーナリストとして歩んできた笹本さんだが、その後、やむを得ず写真の世界から離れた時期があった。しかし、昭和60年(1985年)、笹本さん71歳のときに開催した写真展『昭和を彩った人たち』で、写真の世界に復帰を果たした。
「昭和という時代が60年という"還暦"を迎えるので、撮りためてきた写真を集めて展示しました。71歳からの再スタートです」。写真展では、社会党委員長の浅沼稲次郎さん、言論人の徳富蘇峰さん、作家の室生犀星さん、女優の越路吹雪さんなど、選りすぐりの100人の写真が展示された。
この写真展の成功を機に、明治生まれの女性たちの取材撮影をはじめたのが平成2年(1990年)の春。
「よく明治の男には気骨があるといいますでしょ。でもわたくしは男性ばかりでなく、明治の女性にだって立派な仕事を成し得た方がいるはずだと思っていました。戦前は女性には選挙権もなくて、男性だけが威張っていた時代。そんな中で矍鑠(かくしゃく)と仕事を続けてきた明治生まれの女性たちの功績を、大正生まれのわたくしが世の中に知らしめ、次の世代へ伝えていくのが使命ではないかと思いました。1人ひとりに手紙を出して撮影の約束を取り付けて、45名を写真に収めました」
2年後にはフォトエッセイ『輝く明治の女たち』(NHK出版)を出版した。画家の三岸節子さん、女優の杉村春子さん、作家の佐多稲子さんなど錚々たる顔ぶれが収められている。写真が素晴らしいのはもちろんのこと、短くまとめられた文章も秀逸だ。人物への敬意がにじみ出ており、笹本さんの鋭い観察眼が光る。
年齢を明かさなかった理由(わけ)
笹本さんは96歳まで年齢を明かさずに活動してきた。「年を取っていることがわかると、『この人に写真が撮れるのか』と相手が信用しないと思ったの。明治の女性たちの取材のときには、『若く見えるけど、おいくつ?』なんてよく聞かれましたね。わたくしは大正3年生まれですから、明治の終わりの生まれの方とは、ほんの少ししか違いません。年齢を言わなかったのは、ずっと現役でいるための"自分への約束事"でした」
そんな笹本さんが初めて年齢を明かしたのは、取材で知り合ったアメリカ人のケイトさんのご主人・小西康夫さんの写真展を訪れたとき。笹本さんが何気に話した「96歳」という年齢にみなが驚き、「96歳の写真展」を開催しようと話が持ち上がった。
そして平成22年(2010年)、『恒子の昭和』と題した写真展を開催。「96歳の現役フォトジャーナリスト」という報道も後押しし、初日から大盛況となった。
平成23年(2011年)には吉川英治文化賞を受賞した。この写真展でも展示された『蟻の街のマリア 北原怜子(さとこ)』が受賞のきっかけになったという。
鎌倉での新しい生活 目標があるからがんばれる
「どうしてそんなにお若いの?」。年齢を公表してからこんな質問されることが多くなった笹本さんは、独自のライフスタイルを綴った多くの書籍を出版している。その中で、「赤ワインとお肉が大好き」と紹介。「身だしなみには手を抜かない」とおしゃれの心得にも触れている。写真から離れていた時期には、オーダー服のサロンを開いていたほどの洋裁の腕の持ち主。シンプルなファストファッションも、笹本さん流アレンジを加えて世界に1点のオーダー服に。2014年、100歳のときにはベストドレッサー賞特別賞を受賞している。
100歳まで都内のマンションで1人暮らしをしてきた笹本さんだが、ベストドレッサー賞の授賞式の翌日、自宅で転倒し、大腿骨と腕を骨折する大怪我を負ってしまった。そのため、現在は姪御さんたちの住まい近くの鎌倉の施設でリハビリを続けている。
鎌倉での生活について、「鎌倉文士が好んで住んだ土地。わたくしも鎌倉文士の仲間入りね(笑)」とあくまでもポジティブ。
「自由に歩けるようになって写真を撮りたい」と週3回のリハビリに励む毎日。今では車いすからさっと立てるまでに筋肉が回復してきた。「いくつになっても筋肉は蘇るのね。目標があるからがんばれます」
リハビリのときにもスカーフを巻いて気持ちを華やかに。部屋には全身が映る鏡を飾り、身だしなみにも気を遣う。施設の生活リズムに合わせながらも、自分らしく暮らす工夫をしている。「食事は食堂でとっていましたが、夜だけはワインを飲みたいので、今は食事を部屋に運んでもらっているの。以前は170ccだったワインを100ccに少なくしてね(笑)。部屋には小さなワインセラーもありますよ」とお茶目に笑う。
笹本さんは現在、新しい写真エッセイを制作している。長年、構想を温めてきたものだ。
「思い出深い人たちを花に絡めて文章で綴って、野の花の写真を添えたいと思っています。いろんな方が思いがけない野の花を愛してらっしゃる。例えば、室生犀星さんはつゆ草が好きだったの。意外でしょう?お世話になった方たちへの感謝の気持ちを込めて、必ず完成させます。どんな環境でもわたくし流に進んでいきますよ」
撮影:丹羽 諭
(2016年7月発行エイジングアンドヘルスNo.77より転載)
プロフィール
- 笹本 恒子(ささもと つねこ)(フォトジャーナリスト)
- 1914年(大正3年)9月1日、東京生まれ。日本写真家協会名誉会員。1940年に財団法人写真協会に入社し、日本初の女性報道写真家となる。戦後は千葉新聞社会部に勤務した後、婦人民主新聞の嘱託を経てフリーのフォトジャーナリストとして活躍。戦時中の日独伊三国同盟婦人祝賀会、戦後の三井三池争議、安保闘争などの歴史的場面を撮影。1950年に戦後初の写真展を開催。一時活動を休止するが、1985年、71歳で開催した写真展「昭和を彩った人たち」により復帰。2011年、吉川英治文化賞、日本写真協会賞功労賞、2014年、ベストドレッサー賞特別賞を受賞。
著書に『輝く明治の女たち"いま"に生きる45人の肖像』(NHK出版)、『昭和を彩る人びと:私の宝石箱(アルバム)の中から一〇〇人』(清流出版)、『お待ちになって、元帥閣下 自伝 笹本恒子の97年』(毎日新聞社)、『ライカでショット!―私が歩んだ道と時代―』(新潮社)、『好奇心ガール、いま101歳―しあわせな長生きのヒント』(小学館)などがある。
編集部:笹本恒子さんは、2022年8月15日に老衰のためご逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。
転載元
公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌Aging&Health No.77